西尾哲夫インタビュー(聞き手:二宮敦人) 魅惑の現象アラビアンナイト 『ガラン版 千一夜物語』(岩波書店)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 特集
更新日:2020年1月17日 / 新聞掲載日:2020年1月17日(第3322号)

西尾哲夫インタビュー(聞き手:二宮敦人)
魅惑の現象アラビアンナイト
『ガラン版 千一夜物語』(岩波書店)刊行を機に

このエントリーをはてなブックマークに追加
岩波書店から、初邦訳の『ガラン版 千一夜物語』の刊行が始まり、一月中旬には第四巻が発売となる(隔月刊行、全六巻)。美しい造本と豊かな世界観に、一巻は刊行即増刷。刊行を機に訳者で言語人類学者の西尾哲夫氏にお話を伺った。聞き手は、作家の二宮敦人氏にお願いした。二宮氏はアラブ世界をめぐる言語学や文化人類学の研究に興味を持ち、その小説化を構想している。お話はアラビアンナイトについてはもちろん、中東地域研究、人文科学、言語とは何かなど、幅広いものとなった。      (編集部)
第1回
ヨーロッパ文明とイスラム文明との「対話」

西尾 哲夫氏
二宮 
 今回、はじめてちゃんと『千一夜物語』を読みましたが、非常に面白く夢中になりました。そもそもアラビアンナイトを研究するきっかけは何だったのですか。
西尾 
 中東関係のある雑誌の編集委員をしていたことがあったのですが、あるとき原稿が落ちて、埋草として書評を書くことになったんです。それがロンドンの大英博物館前の書店のおばさんに教えられた、ロバート・アーウィンのアラビアンナイト研究史の本でした。それが、とても面白かった。その後翻訳して『必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』(平凡社)を刊行するに至りました。

当時はアラブ研究といっても制度史が中心で、ようやく社会史研究が出てきたぐらいでした。日本では、前嶋信次・池田修訳の『アラビアン・ナイト』(平凡社 東洋文庫)が、中東研究のための最高の翻訳と見なされていました。が、アーウィンの本は目から鱗で、アラビアンナイトの標準版と目されるものが、ヨーロッパの影響を受けていること、ヨーロッパで作られたものが逆輸入され、偽写本が作られていることも分かりました。偽写本が真正なものとして混じり込み、アラブ世界とヨーロッパを行ったり来たりして、正典が出来上がってきたものなのだと。
二宮 
 ヨーロッパで生まれた翻訳本から、アラビア語の偽写本が作られ、アラビアンナイトとして再翻訳されてきたんですね。
西尾 
 時代が下り、文献学的な研究が進んで、やっとそのからくりが分かったんですよね。

研究する上で興味があったのは、日本の中東研究はヨーロッパの視点から逃れられない。そうであるなら、僕らがやっている中東地域研究とはどういう意味があるのか、ということでした。
二宮 
 日本の中東地域研究にヨーロッパの視点が存在するとは、どういうことでしょうか。
西尾 
 まずヨーロッパの仕事があって、我々はそれを継いでいる、ということです。

ヨーロッパの中東地域研究とは、そもそも帝国主義の時代に植民地を知るために生まれてきたものです。いいかえれば文化人類学という学問は、植民地経営のために必要な現地の習慣を調査するものとして発達してきました。ですからエドワード・サイードが批判する「オリエンタリズム」を、少しも意識しない文化人類学者はいないでしょう。 

日本においてアラビアンナイトは、明治期には既にヨーロッパから入り、アラブ文学ではなく、ヨーロッパ文学の一部として、一つの視点が提供されました。日本の近代はヨーロッパを模倣して、中国や朝鮮半島に同じような視線を向けてきたのです。

ただ僕は、アラビアンナイトは、ヨーロッパ文明とイスラム文明との「対話」だと考えています。それを単純に、「見られる側―見る側」と切り取ってしまうのは違うのではないかと。一つの現象として「オリエンタリズム」があったのであれば、それを受け止めて、プラス面も見ていく必要がある。日本からの中国や中東への視点を重ねて考えても見るべきです。その可能性の一つとして、アラビアンナイトの受容や影響を知ることには、意味があるのではないかと考えているのです。
二宮 
 ところでなぜいま、ガラン版が刊行されたのですか。
西尾 
 二〇〇四年の「アラビアンナイト記念年」に、僕の所属する国立民族学博物館でも「アラビアンナイト大博覧会」を開催しました。その研究資料として、ガラン版の翻訳を進めていたんです。翻訳にあたっては、ガランの仏訳の元になったアラビア語写本(ガラン写本)も照合しました。ただ、仏訳初版は稀覯本で入手が困難でしたし、読むのもたいへんでした。つい最近、非常に詳細なフランス語の校訂本が出たことは、刊行の直接の理由になっています。
二宮 
 ガラン写本の言葉は、いまとはかなり違うのですか。
西尾 
 違います。実はガランも誤訳しているぐらい(笑)。アラビア語は現代でも口語と文語が基礎語彙から違う言語です。アラビアンナイトはもともと語り部が語っていたものなので、典雅でなく、辞書にない口語が交じっている。そこに方言が交じれば太刀打ちできない。ラテン語の研究者によると、キケロなど古い時代のラテン語は、辞書や注釈書が揃っているから訳せる。一方、中世のヨーロッパは、共通語がラテン語で、別の地域の言葉が交じりあってラテン語化し、判別できない言葉がたくさんある。古典より読むのがずっと難しいのだと。アラビアンナイトの言葉もこれに近い。

アントワーヌ・ガランは東洋学者で、語学に堪能だったため、外交使節団として東欧地域にたびたび派遣され、足掛け二〇年暮らして直に言葉を学びました。フランスに戻った一七〇一年、アラビアンナイトの十五世紀の古写本三巻本を手に入れて、翻訳を始めます。アラブ世界でも忘れられていたアラビアンナイトが、ガランの再発見により、日の目を見ることになったのです。
二宮 
 ガランは大きな仕事をしたんですね。
西尾 
 なぜいまガラン版なのか、という話に戻りますが、アラビアンナイトの原典は何かと問われたら、僕の結論はガラン版です。アラビアンナイトを現象として見たとき、時間的な軸とは別に、最初の原典と呼べるのはガラン版なんです。
2 3 4 5 6
この記事の中でご紹介した本
ガラン版 千一夜物語/岩波書店
ガラン版 千一夜物語
翻訳者:西尾 哲夫
出版社:岩波書店
「ガラン版 千一夜物語」は以下からご購入できます
「ガラン版 千一夜物語」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
二宮 敦人 氏の関連記事
読書人紙面掲載 特集のその他の記事
読書人紙面掲載 特集をもっと見る >
文学 > 外国文学 > 中近東関連記事
中近東の関連記事をもっと見る >