荒城に白百合ありて / 2322(KADOKAWA)幕末版「トリスタンとイゾルデ」 自分自身を問いなおした作品|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年1月20日 / 新聞掲載日:2020年1月17日(第3322号)

幕末版「トリスタンとイゾルデ」
自分自身を問いなおした作品

荒城に白百合ありて
著 者:須賀 しのぶ
出版社:KADOKAWA
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 『革命前夜』『また、桜の国で』などで話題となった須賀しのぶさんが、幕末を舞台に、会津藩の女性と薩摩藩士のすれ違う運命を描く『荒城に白百合ありて』(KADOKAWA)を上梓した。当初は、幕末会津の物語を書くことに「抵抗があった」という。

「ワーグナーのオペラ『トリスタンとイゾルデ』を、担当編集者と一緒に観にいったとき、彼女に「幕末会津で『トリスタンとイゾルデ』はどう?」と言われたんです。

けれど、両親が会津出身だったこともあり、歴史を学ぶ前から私には会津視点の幕末が頭に入っていた。今までのように、客観的な視点で公平に書くのは難しいと思い、ずっと断っていました。

その後、『また、桜の国で』を書いたときに、第二次世界大戦時のポーランドと幕末会津が似ていると感じたんです。もしかすると書けるかもしれない。そう思ったときには、会津に取材に行くことになっていた。外堀を固められていましたね(笑)」。

主人公は、徳川幕府に忠誠を誓う「家訓」により滅んでいく会津藩の女性・鏡子と、倒幕に燃える薩摩藩士の伊織。立場は正反対ながらも、「この世に馴染めない」「自分には中身がない」と、虚無感を抱える点では似たもの同士だ。

須賀 しのぶ氏
「伊織は書きにくい主人公でした。大儀のため頑張るけれど、そこに確固たる意思が無いからです。でも、幕末の男性が全員、「世の中を変える!」みたいな情熱を持っていたはずがない。伊織のように賢い人には、命がけで戦い、志半ばで倒れる美学の先に待つ破滅が見えてしまっていた。彼はそのせいで、役割を見つけられずに苦しむわけです。

一方、女性である鏡子には、女や妻、母といった役割が与えられている。自分を「人の形のいれものに入ったなにか」と感じている鏡子にとって、役を演じることは、人の形を保つ指針にもなります」。

同じ想いを抱えているからこそ、伊織と鏡子は互いの本質を見抜き、惹かれあう。しかし、共に生きる道を選ぶことはない。

「出会わなければ、二人とも相応に上手く生きていったでしょう。けれど、安政の大地震による炎の中で、出会ってしまった。近しい魂を持ちながら、それぞれの生き方、立場を認めるわけにはいかなかった二人です。ハッピーエンドではないかもしれませんが、彼らはあの終わり方に、きっと満足している。そう信じています」。

主人公たちの冷静な視点を通して、幕末の狂気も垣間見える。一斉に同じ方向を向く危うさを、「現代も同じ」と須賀さんは指摘する。

「戦争は、軍ではなく大衆とマスメディアが起こすものだと思います。私たちは、周囲の意見に従いがちで、どこまでが自分の考えなのか、なかなか判断できない。情報に流される怖さは、幕末から現在まで変わっていないのではないでしょうか」。

断り続けていたテーマで作品を書き終えた須賀さんは、執筆中を振り返り、次のように語った。

「この作品は、自分自身を問う物語でした。近すぎる題材だからと、封印していた部分に向き合うことで、自らの役割を深く考えながら書くことになりました。色々な意味で、原点回帰をした作品だったと思います」。
この記事の中でご紹介した本
荒城に白百合ありて/KADOKAWA
荒城に白百合ありて
著 者:須賀 しのぶ
出版社:KADOKAWA
「荒城に白百合ありて」は以下からご購入できます
「荒城に白百合ありて」出版社のホームページはこちら
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