中野重治著『むらぎも』 中野の考え方が躍如――人格形成期を描いた長篇 評者:奥野健男 「読書タイムズ」1954(昭和29)年9月15日号|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年1月19日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第111号)

中野重治著『むらぎも』
中野の考え方が躍如――人格形成期を描いた長篇
評者:奥野健男 「読書タイムズ」1954(昭和29)年9月15日号

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中野重治の自伝的要素の濃い一連の小説のなかに、当然書かれねばならぬ空白の時期があった。それは『歌のわかれ』「街あるき」と「第一章」の間、つまり次第にコミュニズムに近付いて行った作者の人格形成にもっとも重要な位置を占める期間である。戦後十年たった今日、その期間のことを作者は六百枚というはじめての長篇で描いた。この作者の今までの作品と生き方に深い尊敬を抱いているぼくは、異常な期待を持って『むらぎも』を読んだのである。

この作品は、大学生の主人公片口安吉(これは『歌のわかれ』の主人公と同一名)が、新人会に入ったところから始まり、大学を無事卒業するところで終っている。その間、新人会の人々に接する新鮮な驚き、研究会の模様、ドイツ人労働者代表の通訳をしたこと、地方組織確立のための旅行、大学生村田宮に対する感想、大同印刷争議への応援、大正天皇崩御の争議への影響など、盛りだくさんに織込れている。それが物語りらしい節や、客観的な描写ではなく、すべて安吉の感想として描かれているのだ。この作者の独特のものの感じ方考え方がいかんなくそこにあらわれている。

しかし率直にいって、ぼくの期待は満されなかった。余りに作者のひとり合点が多く、その時代に対する予備知識のない若い読者などには、書かれてあることがよくわからないのだ。多くのことが書かれていながら、事件や自己に対する突込んだ分析がないのだ。部分部分は面白くても、全体として盛上る感動がない。形としてはもっとも古い私小説的技法を一歩も出ていない。この作品はもっと早く書かれるべきであったのだ。今日になっては、今更『歌のわかれ』と同じ調子で書かれても、その意義が半減している。

作者の資質は長篇小説に向いていない。しかしこれを小説として読まず、文明批評家、思想家中野重治の随筆として読めば興味津々たるものがある。随所に今日の作者の考え方、感じ方が躍如としてあらわれている。(筆者は文芸評論家)(講談社刊・二七〇円)
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