疎開体験の戦後文化史  帰ラレマセン、勝ツマデハ 書評|李 承俊(青弓社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年1月18日 / 新聞掲載日:2020年1月17日(第3323号)

疎開体験の戦後文化史  帰ラレマセン、勝ツマデハ 書評
疎開体験の戦後文化史
帰ラレマセン、勝ツマデハ

疎開体験の戦後文化史  帰ラレマセン、勝ツマデハ
著 者:李 承俊
出版社:青弓社
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 二〇一九年九月末、疎開体験の記録の保存に取り組んできた「国民学校と学童疎開を考える会」が、会員の高齢化から解散した。「体験」を語る人々は高齢化し、戦争をいかに語り継ぐか/聴きうるかという問いは切実さを増している。気鋭の文学研究者による本書が論じるのは、疎開体験が戦中・戦後にどのように解釈され語られたのかという問題だ。文学作品だけではなく証言集やメディア言説などの様々なテキストを横断することで、まさに一つの戦後文化史を浮き彫りにした好著である。

第一部では、学童集団疎開政策の「イデオロギー的背景」が論じられる。著者は、戦時期の「学童疎開問答」や教科書に掲載された楠木正成父子の「桜井駅の別れ」、柳田国男『先祖の話』に着目することで、学童集団疎開が「七生報国」によって意味づけられた少国民の戦争参加として実施されたという点を明らかにする。さらに、敗戦後の『東京大空襲・戦災誌』、「名古屋空襲誌」、「学童疎開ちくさ」等の分析から、個人的な「証言」を集合する際の一般化・一元化への欲望を問題化すると共に、自らの世代的固有性を主張した「疎開派」の思想的営為とそこに潜む戦争体験の有無を軸とした都会中心主義的思考を指摘する。第三部は疎開体験についての語りに浮かび上がる〈田舎と都会〉の問題について石川達三、太宰治、坂上弘の作品を論じている。

本書でうならされたのは、主に第二部である。著者は、黒井千次、高井有一、そして坂上弘らの「内向の世代」における疎開の語りの同時代的独自性と、現在から見て認められる批評性を指摘している。高橋和巳、柴田翔、大江健三郎らが「悔恨共同体」を構成したのに対し、黒井千次や高井有一らは彼らとほぼ同世代でありながら、「悔恨共同体」に「揺らぎ」をもたらしたとする。著者は、黒井の『時の鎖』における、身体感覚を通した他者への触れ合いへの願望を丁寧に分析し、「悔恨共同体」が疑わない「批判」の主体としての自己そのものへの疑いを読みとく。また、高井の『北の河』『少年達の戦場』を論じて、疎開体験の語りが普遍化へと向かわず、「不確かな私」にとっての戦争体験の伝達(不)可能性を確かめようとする試みがあることを明らかにしていく。

著者は戦時期から七〇年前後に生み出されたテキストまでを考察の対象としているが、現在も疎開体験は「いま」との新しい関係によって語られている。東日本大震災、西日本豪雨などの災害や「現在」の日々の想念のなかに、空襲と焼け野原、疎開の記憶が思い起こされていく古井由吉『この道』(二〇一九年)は、「「内面」に没頭するからこそ開かれうる外への道が存在する」という本書の高井有一評とも響き合い、いわゆる「内向の世代」の文学的営為の可能性を感じさせられた。今後も、沖縄の人々にとっての疎開、様々な事情によって疎開し得なかった人々、女性やマイノリティにとっての疎開、疎開と呼ばれた移動を含む人口移動政策に関する語りなど、著者の横断的かつ精緻な方法で個々のテキストを分析することによって見えてくる問題はあるだろう。個別の語りを通して疎開体験の現在的な意義を問う本書は、現在を見据えるための文学の可能性を開示する意欲作である。
この記事の中でご紹介した本
疎開体験の戦後文化史  帰ラレマセン、勝ツマデハ/青弓社
疎開体験の戦後文化史  帰ラレマセン、勝ツマデハ
著 者:李 承俊
出版社:青弓社
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