国境27度線 書評|原井一郎(海風社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2020年1月25日 / 新聞掲載日:2020年1月24日(第3324号)

国境27度線 書評
奄美「現代史」を活写
分断する権力の働きを問い直す

国境27度線
著 者:原井一郎、斉藤 日出治、酒井 卯作
出版社:海風社
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 「38度線」と言われればすぐに朝鮮半島の緊張した情勢を思い浮かべられる人でも、「27度線」という言葉の意味がわかる人は、かならずしも多くはないだろう。とりわけ「日本本土」と称される(大きめの)島々に住む人々のあいだではそうである。かくいう評者もそのひとりである。無知なる者は、本書冒頭の「戦後南島の国境変遷」という図にまずたじろぐことになる。鹿児島県から沖縄島のあいだに、形も大きさも実にさまざまな島々がある。そのあいだを、不自然なほどにまっすぐな線がいくつも横切る。30度線は1946年に南西諸島(奄美と沖縄を含む)を日本から切り離して米軍統治下に置いた時の境界線、27度線は1953年の奄美「復帰」後、米国の施政下に置かれ続けた沖縄を隔てた境界線である。この27度線が1972年の沖縄「復帰」までのあいだ国境線となり、奄美と沖縄を分断し続けた。

奄美・名瀬に育ったジャーナリスト原井一郎は、本書においてなぜ奄美における復帰運動が沖縄を見棄てて「抜け駆け」的に実現されたのかという問いを挙げた上で、敗戦後すぐに米軍施政下におかれた奄美では公職追放のような措置がとられず、神社における「断食」や「日の丸掲揚」など戦前回帰的な方式で復帰運動が展開された事実をえぐり出す。復帰したら生活が楽になるだろうという願いがその根底に存在したわけだが、実際には米国によるガリオア資金の返済などのために経済的困窮はいっそう厳しいものとなり、「むしろ米軍統治の方がよかった」という声も復帰後すぐに浮かび上がったという。他方、沖縄では大量の奄美人が出稼ぎ的に働いていたものの、復帰した以上はすぐ帰るべきだという声が湧き起こり、奄美の人々の追放、土地所有権の剥奪などがおこなわれた。沖縄と奄美の対立の起点ともいうべき「古疵」から目を背けるのではなく、むしろあえて切開することで治癒を願う祈りのような思いが浮かび上がる。

原井は本書で折にふれて自らの見聞を組み込み、「書けば縁者に迷惑が及びかねない側面もあった」とも記している。そのことに明らかなように、ここでは原井自身をその一部として含むところの奄美「現代史」が活写されている。同時に、「陸続き」ならぬ「海続き」の世界を直線で分断していった権力の働きを、ミニッツやダレスなど米政府の担い手に即して問い直してもいる。「帝国主義の世界分割」は世界史の教科書の中にあるばかりでなく、「南西諸島」と呼ばれた島々で現実に生じていたことだったのだとわかる。

斉藤日出治、酒井卯作という二人の碩学が本書に寄せた文章は、原井の仕事の重要さをそれぞれの文体で表現している。経済学者斉藤は社会科学者の文体で〈国境線の政治〉とこれに抗する「琉球弧民衆の自決権の闘い」の重要性を浮き彫りにする。民俗学者酒井は、1952年当時国境の島だったトカラ列島・宝島を旅した際に刑事に尋問された経験を訥々と語りながら「自分を含めて、本土の人間の大方の人は、こうした国境の厳しさを理解していない」という思いを書き留める。

「あとがき」において斉藤は、戦前京都帝国大学により奄美から奪い去られた遺骨の返還を求める運動に原井が従事していることにふれながら、「奄美の精神文化を破壊するものに対する深い憤り」がその活動を支えていると論ずる。原井が奄美人として沖縄人を見棄てた経緯を自省的に問う倫理性は、それでは、「本土」と呼ばれる島々で「日本人」として生きる者の奄美・沖縄への態度に倫理性はあるのかという問い返しを当然のごとくはらんでいる。この知的でもあると同時に、倫理的でもある問いかけに応答する必要があると考えさせられた一書である。
この記事の中でご紹介した本
国境27度線/海風社
国境27度線
著 者:原井一郎、斉藤 日出治、酒井 卯作
出版社:海風社
以下のオンライン書店でご購入できます
「国境27度線」出版社のホームページはこちら
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