海の向こうで戦争が始まる 書評|村上 龍( 講談社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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【書評キャンパス】大学生がススメる本
更新日:2020年1月25日 / 新聞掲載日:2020年1月24日(第3324号)

村上龍著『海の向こうで戦争が始まる』

海の向こうで戦争が始まる
著 者:村上 龍
出版社: 講談社
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 社会とは何であろうか。今、私たちが生きているこの世の中を分析するには、あまりに多くの視点が存在する。学問や文化、あるいは個人を基点として、現実を考察することはできる。では、夢はどうだろうか。常に不確かで不安定な世界。人間の意志を無視して、風に舞う枯葉のようにどこへ導くか予測できない。だが、正夢のように何かを暗示することもある。現実の私たちを飛び越え、社会というものが何によって動き、どこへゆくかをあぶり出す。この小説は、正夢のごとく、現実の社会に迫るものがある。

真夏の沿岸で「僕」は出会ったばかりのフィニーとたわむれている。ふとフィニーが海原に霞む黒い稜線をたどり、「あなたの目に町が映っている」と言う。「僕」が見る町では、今まさに祭りが始まろうとしていた。群衆は祭りに狂騒し、殺戮芸に熱狂する。彼らの内には、冷酷な現実を生きる、個々の人々の思いが揺らめく。熱気に押しつぶされた家族、ゴミを漁る子供たち、日に日に衰弱する母を悲しくも嫌悪する男。群衆の熱狂は彼らに迫り、踏みにじってゆく。祭りが去り、汚れ切った町に置き去りになった人々は、ただ、こう思う。「祭りなんかいらない。戦争が始まればいい。一度すべてを切開して破壊して殺してしまうのだ」

そして戦争が始まるのだが、その引き金となる行動の描写が見受けられない。他国に宣戦を布告するわけでもなければ、内戦が始まるわけでもない。これは、いったい何なのか。

私はそのヒントを、熱狂する人々にあるとみた。人は誰しも自身が抱える困難に向かい合っていかなくてはならない。しかし、みなが自らを忘れるほどの、一切が破壊される出来事、例えば戦争のようなものが起きたら、どうなるであろう。人々は自身の責任から解放されることになり、自らを顧みることを忘れ、目の前の安息を渇望する。その大勢の「欲望」が一つの意志になり、戦争へと突き進んでいったのだ。熱狂と恍惚。「欲望」という名の「戦争」は個人的しがらみの一切を吹き飛ばす。自らが持つ悩みはなくなり、私もあなたも一つの「欲望」によって生きることができる、だから、戦争を望むのだ、と。この小説は人々の「欲望の蠢き」を表現しているのだ。

そして、この蠢きは、私たちが生きる社会を描いているようでもある。なにかを敵と認識し、一斉にバッシングを行い、隣国への敵対心を煽り、憎悪をまき散らす。それにより、一時的でも自己を忘れることができ、憎悪という「欲望」は満たされる。さながら「祭り」である。しかし、この欲望の行き着く先はどこか。一切が破壊された場所、一切の意志がひとつになる場所、すなわち「戦争」が始まろうとしているのだ。海の向こうの町と私たちがいる此方は異なる存在のはずが、表と裏のようにたしかにリンクしている。これがこの作品の凄みである。

この小説は単に物語としてではなく、人の意志、現実の社会を見据えるうえでも大いに示唆に富んでいる。夢のような不安定な世界が続く中で、明確に現実を見据えている。海の向こうの「戦争」はわたしたちの社会にも、蠢き始めているのかもしれない。
この記事の中でご紹介した本
海の向こうで戦争が始まる/ 講談社
海の向こうで戦争が始まる
著 者:村上 龍
出版社: 講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
「海の向こうで戦争が始まる」出版社のホームページはこちら
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