オランダの文豪が見た大正の日本 書評|ルイ・クペールス(作品社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2020年1月25日 / 新聞掲載日:2020年1月24日(第3324号)

オランダの文豪が見た大正の日本 書評
大正期の「雑種(ハイブリッド)」日本
大正期の「雑種(ハイブリッド)」日本

オランダの文豪が見た大正の日本
著 者:ルイ・クペールス
翻訳者:國森 由美子
出版社:作品社
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 九八年前の春、金閣寺を訪れた「オランダの文豪」クペールス夫妻は、修学旅行中の男子生徒の大群に「もみくちゃにされながら」優美な庭園を観賞した。数百人という男子生徒たちは、着物に袴、西洋風の帽子といういで立ちの「騒がしい奴ら」で、色鮮やかな鯉に餌をやって楽しんでいたようだ。

こうした大正期の「外国人観光」の一コマを伝えてくれる本書の著者、ルイ・クペールスは十九世紀末から二〇世紀初めに活躍したオランダの作家で、当地では五十巻の全集が出ているものの、日本ではほとんど知られていない。初の邦訳作品となる本書は、彼が「ハーグ・ポスト」紙に連載した東洋紀行(オランダ領東インド、中国、日本)のうち、一九二二(大正十一)年三月~八月に及ぶ日本への旅を収録したものである。西洋人による日本滞在記・旅行記は、明治期については数多あるが大正期のものは珍しく、その点で本書の訳出は貴重な仕事といえる。

香港から上海経由で長崎に入ったクペールスは、瀬戸内海を抜けて神戸に到着後、意味のまったくわからない文字や音声、不快な汚れと臭いに取り巻かれる街と極度に洗練された庭園や京都御所の清浄さとのギャップに混乱し、病を得て入院してしまう。ここまでを前半とすれば、七週間の療養をへて優秀なガイド「カワモト」に出会い、彼に導かれて箱根や日光など関東を旅するくだりが後半だ。バジル・ホール・チェンバレンやラフカディオ・ハーンの著作に親しんでいたクペールスにとって、待望の日本は期待に相応しいものとはいえず、とりわけガイドに恵まれなかった前半は失望と落胆の日々だった。知的で機転も効いた完璧なガイド、カワモトに出会ってからは安心して日本を旅したようだが、失望を相殺する古典的な美に感動しながらも、「西洋」を表層的に装い、日露戦争と第一次世界大戦をへて「強国」と自惚れる日本への困惑や苛立ちは隠していない。

クペールスは、このように旧弊と近代、謙虚と尊大、節制と浪費、繊細と粗野、清潔と不潔が同居する大正期の日本を「雑種(ハイブリッド)」だという。本書の魅力はまさに、その「雑種」の近代日本に対する率直な観察と困惑が、ふんだんなユーモアと、西洋の物質主義に対する自己批判(しかし植民地主義に対する自己批判はない)とを交えながら、どこか「雑種」的に記述されているところにある。寺社や庭園、仏像や絵画の印象とともに、花見の時期に酒盛りする群衆の姿や、糞尿を肥料にした田畑から漂う悪臭を語る。こうした日本の事物に対する彼自身の見聞録に、京都帝国大学教授からもらった『日本史入門』の紹介、入院中の闘病記、カワモトとの対話、徳富蘆花『不如帰』(英訳)の批評などが混在する。

なかでも闘病中の「妄想」は本書の山場の一つといえる。パラチフスかと診断されたクペールスは、狐が肋骨の下に入り込んで内臓を切り裂いているかのような気がしてたまらず、怖いもの見たさもあってか、日本人看護婦「アラヤさん」に「狐憑き」の話をしてもらった。クペールスはそれを聴いて恐怖におののき、朦朧としながら、痛みを取り除いてくれと阿弥陀に祈ったというのだ。奇妙な国「日本」から遠く離れたオランダの読者を見据えるクペールスはここで、近代日本の「雑種」性に対面して混乱したまま前近代的な「迷信」に取りつかれ、西洋の合理的な知識人たるみずからが「雑種」化した姿を演じている。
この記事の中でご紹介した本
オランダの文豪が見た大正の日本/作品社
オランダの文豪が見た大正の日本
著 者:ルイ・クペールス
翻訳者:國森 由美子
出版社:作品社
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ルイ・クペールス
ルイ・クペールス()作家。
1863年6月10日、オランダ・ハーグ生まれ。ヨーロッパの「ベル・エポック」期に数々の大作を発表し、国内外で広く知られた、第二次世界大戦以前のオランダ近代文学史上、ムルタトゥリ以降の最大の作家。オランダ領東インド(現インドネシア)の植民地政庁の上級官吏を引退した父親と東インドに代々続く名家一族出身の母親との間に生まれる。1872年、一家で東インドに渡り、10歳から15歳までをバタヴィア(現ジャカルタ)で過ごす。1878年にハーグに戻り、エミール・ゾラやウィーダを読んで影響を受けるとともに創作活動をはじめ、詩作で文壇にデビュー、本格的な執筆活動を開始した。散文第一作目である『エリーネ・フェーレ(Eline Vere)』(1889年)は、主人公エリーネを中心とした人間模様を描いた作品で、連載当時から大評判となった。1891年、4歳年下の従妹エリーサベトと結婚。夫妻はイタリア、フランス、ドイツ、スペイン、東インド、英国、北アフリカなど、旅続きの生活を過ごした。1897年、31歳でオランダ王家勲章を受勲(オフィシエ)。日本から帰国後の1923年6月9日、60歳の誕生祝いの折りに二度目のオランダ王家勲章受勲(騎士)。同年7月16日逝去。オランダ学術アカデミー編纂による全50 巻の「クペールス全集」(1988-96年)がある。
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