2016年回顧 女性学 戦争と性の問題の問い直し 性暴力から恋愛までのスペクトラムのある性|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年12月23日 / 新聞掲載日:2016年12月23日(第3170号)

2016年回顧 女性学
戦争と性の問題の問い直し
性暴力から恋愛までのスペクトラムのある性

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ここのところ印象に残る本は、戦争と性の問題の問い直しである。もちろんここでの性には、性暴力から恋愛までのスペクトラムがある。例えば日本人の著者によって書かれた『丸刈りにされた女たち―「ドイツ兵の恋人」の戦後を辿る旅』(藤森晶子、岩波書店)は、フランスにおいて、ドイツからの解放とともに、髪を坊主に刈られ、町を引き回された女性たちの経験について考える本である。ドイツ人の恋人とされてきた「対独協力者」、2万人にのぼる丸刈りの被害者のうち、半分は、経済的協力者、密告者、対独協力的組織加入者であった。

著者はドイツ兵の恋人を持ったがために、丸刈りという独特の暴力を受けた女性、もしくは処女証明書を発行してもらい逃れたにもかかわらず父親によって頭を刈られた女性、丸刈りの経験を語ることもできない女性、多くの女性の「その後」の翻弄され続けた人生についての取材の本である。なぜ女性にだけ、自国の男性によってこのような制裁が加えられたのか。他国の女性と恋愛をしたり、買春をしたりした男性はたくさんいたにもかかわらず。著者はドイツや朝鮮で、米兵や日本人兵と関係した女性たちへの暴力と対比させて、戦後日本のアメリカ兵の恋人への直接的な暴力の不在を指摘している点が興味深い。もちろん戦後日本において、それは日本人男性のプライドを傷つけもした。しかし日本とアメリカの関係を考えれば、その怒りを表出することすら、日本人男性には許されなかったということだろう。

その怒りはどこへ向けられるのかといえば、むしろ日本の過去の清算をめぐる政治に対してではないだろうか。『海を渡る「慰安婦」問題―右派の「歴史戦」を問う』(山口智美・能川元一、テッサ・モーリス―スズキ、小山エミ、岩波書店)では、アメリカにおける韓国や中国を仮想敵とした戦いについて、描かれている。大戦中の日系人の収容所問題を考えれば、アメリカの日系人にとって修正主義的な言説はむしろ、自分たちが受けてきた人種主義的な政策を肯定する材料にすらなりかねない。「慰安婦」問題を攻撃する在米日本人と、報道とは異なりそれに当惑する日系人のあいだには亀裂がある。「慰安婦」を直接攻撃し、過去を声高に否定することにより、逆に日本は過去を忘れさせてはもらえない。「慰安婦」問題を批判するのとあわせて、自国がベトナムで行った暴力について語りもする韓国に較べれば、こうした偏狭なナショナリズムは、実際には「国益」を損ねているとすらいえる。

『ヒトラーの娘たち―ホロコーストに加担したドイツ女性』(ウェンディ・ロワー、武井彩佳監訳、明石書店)では、女性の政治参加が制限され、(「優秀」なアーリア人にとってのみの)母性だけが自己表現の手段とされたナチス・ドイツで、要望に応じ、自らは解放を求めて東ヨーロッパへと進出していった女性たちが戦争犯罪へ加担する過程を描いている。それは女性の役割とそれほど相反しない。高い給料、素敵な制服、自己実現の欲求、そういった「普通」の欲望が、生み出したグロテスクな結果には目を覆うばかりだ。そしてナチが制限つきで、「女性の活力開発」を叫んだことに、現在の私たちが学ばなければならないことはあるだろう。

『職務格差―女性の活躍推進を阻む要因はなにか』(大槻奈巳、勁草書房)は、「女性活用」が進まない理由を、女性の家族責任からではなく、労働過程においていかにジェンダー化された関係性が形成・維持されているかを分析した労作である。『「家族する」男性たち―おとなの発達とジェンダー規範からの脱却』(大野祥子、東京大学出版会)、『<オトコの育児>の社会学―家族をめぐる喜びととまどい』(工藤保則/西川知亨/山田容編著、ミネルヴァ書房)は、男性の家事や育児、ジェンダー規範に焦点が当てられている。すぐれた女性作家分析である『彼女たちの文学―語りにくさと読まれること』(飯田祐子、名古屋大学出版会)、今年亡くなられた秋山洋子さんの評論集『フェミ私史ノート―歴史をみなおす視線』(インパクト出版会)も印象に残った。
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