対談=十川幸司×立木康介 フロイトはいまだ読まれてはいない 『フロイディアン・ステップ』(みすず書房)刊行記念対談 載録|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年1月24日 / 新聞掲載日:2020年1月24日(第3322号)

対談=十川幸司×立木康介
フロイトはいまだ読まれてはいない
『フロイディアン・ステップ』(みすず書房)刊行記念対談 載録

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精神分析家の十川幸司氏が『フロイディアン・ステップ 分析家の誕生』を上梓した。構想七年、フロイトの「精神分析」の歩みを丹念に探り、分析にとって普遍的な精髄を取りだした一書である。十二月十三日には東京・下北沢の本屋B&Bで、同じく精神分析家の立木康介氏をお相手に「愛と享楽について精神分析が知っている二、三の事柄」と題し刊行記念トークイベントが行われた。その内容を載録する。
第1回
フロイトの思考の革新性の核心

十川 幸司氏
立木  
本書を読みこなすのは、自分自身がフロイトにじっくり向き合ったことがある人でないと、難しいかもしれませんが、素晴らしいご著書であることに変わりありません。というのは、思考の深みで問い残され、かつ繰り返し変容していくフロイトのテクストを、十川さんが細部まで徹底的に検証し、実践的な理論として現代に蘇らせておられるからです。

本書は全部で四つのパートから成りますが、それに先立つ序章で、なぜフロイトは現代にも通用する普遍的な理論を構築できたのか、という問いが提示され、フロイトの精神分析を成り立たせる二つの重要な要素について語られます。その一つは科学で、理論によって普遍的な知に接続すること。もう一つは臨床の個別症例の経験です。

フロイトは一八五六年に生まれ一九三九年に亡くなります。フロイトがいつ分析家になったかには諸説ありますが、十川さんはどうお考えですか。
十川  
フロイトの基本的な理論構想は、友人のヴィルヘルム・フリースに宛てた初期のテクストの中に、すべてその萌芽を読み取ることができます。そこには晩年の思索にまでつながる発想もある。フロイトの歩みは、最初に摑んだ直感をいかに展開するかという実験だったといえます。

フロイトはそのアイデアをその後、臨床という現場で展開していくのですが、そのさい、彼の頭の中では理論と臨床が最大限の振幅でつながっている。そこを見逃さないことが、大事な点です。

この本を書く際に、一番悩んだのは、フロイトの思索のなかで、どのラインを取り出すかという点でした。結局、私はフロイトの最も核心的と思えるライン――それは彼の臨床的著作に他ならないのですが――に焦点を絞りました。膨大なフロイトの著作から贅肉を落としていって、ジャコメッティの彫刻のように、一つの強力で屹立するラインだけを残す。そうしないと論点が拡散してしまい、フロイトの思考の革新性を捉えることができないのです。本書で中心となるのは、いわゆるフロイトの五大症例(「ドーラ」「狼男」「鼠男」「シュレーバー」「ハンス」)です。ただ、「ハンス」は児童分析の症例であり、第二章(「心的両性性と肛門欲動論」)の議論のなかにすべて収まるので、本書では表立っては取り上げてはいません。「ハンス」で中心となるテーマはエディプス・コンプレクスで、従来の精神分析理論では過大評価されてきました。しかし、それはフロイト理論の脚注に過ぎません。エディプス・コンプレクスは、ラカンが喝破したように、フロイトの夢(症状)であり、正確な解釈が必要な理論です。さらに、五大症例に加えて私が重視したのは、「子供が叩かれる」「マゾヒズムの経済論的問題」など、臨床家があまり注目しないけれども、フロイト理論の鍵となる論考です。この本では、『夢解釈』や『日常生活の精神病理学』などの著作はあえて無視しています。フロイトをそのラインから読み取るなら、また異なったフロイト論が書けるでしょう。

ところで、五大症例の分析を終えた一九一〇年代に、フロイトは真の意味で分析家になったと私は考えています。つまり彼の中で臨床と理論の歯車が噛み合い、精神分析の技法と理論を毎日繰り返し再検討することに没頭していた時期に、彼は自らが分析家であることを確信したのではないか。
立木  
第一次大戦の始まる時期ですね。一九一四年という世界史上のメルクマールに、本書で中心的に取り上げられる「ナルシシズムの導入にむけて」という論文が書かれています。一般にはフロイトの精神分析の始まりは、一八九七年の「誘惑論」の放棄や、主著といえる『夢解釈』が刊行された一九〇〇年あたりだと考えられています。が、十川さんは、一八九五年の「心理学草案」に、以後のフロイト理論のほとんどの構想があると考える一方で、フロイトが精神分析家になったといえるのは、臨床経験が深まった一九一四年頃なのだと。臨床経験と理論の両軸が、フロイトの精神分析に必須のものであるという指摘も、本書の重要な主張だと思います。

序章ではフロイトの思想の変遷を、論の転換と方法の変遷から三期に分け、つづく第一部からそれらを順に巡っていきます。第一期は「草案」から一九一〇年代。第二期が「ナルシシズムの導入にむけて」を中心とする一九一〇年代の著作群で、第三期を一九二〇年の『快原理の彼岸』以降と位置付けておられます。

それぞれに特徴的な方法があり、第一期は心的装置のメカニズムを、主に量的な過程として記述した、神経心理学的方法。第二期はメタサイコロジー概念によって精神分析理論を基礎づけていく、概念構築的方法。第三期は快原理を量の観点から基礎づけることで、死の欲動という概念を引き出し、理論を切り開く、超越論的原理探究だと。

その一方で、すべてに通じる共通の方法論的基盤もあり、一つは疾病分類に対する関心。既に一八九四年の「防衛神経精神症」の中で、ヒステリー、強迫神経症、恐怖症、パラノイアの病因と心的機制を理論的に分類し、それがフロイトの方法の一貫したバックグラウンドとなっています。二つ目は、フロイトの仮説であるリビード(性欲動のエネルギー)という量の増減が、常に問題にされていること。そこから「対象」「同一化」「超自我」などメタサイコロジーの中核となる諸原理が構築され、また治療論においても、いかなる精神疾患にも、その根底には量的不調和があるとされます。そして三つ目は、独自の集中に基づく患者の臨床的観察です。

また序章では、「ナルシシズム論」について、大事なことがいくつかいわれています。一つはナルシシズムと倒錯との結びつきの深さ。もう一つは、ナルシシズムは不快な経験であり、病理であるということです。

ナルシシズムとは、外部の対象に向けていた欲望のリビードを、対象に拒絶されたり、対象を失ったときに、自我に引き上げることで、自我のうちに興奮の刺激量が増加する状態のことです。とすれば、これは必然的に不調和で不快な経験であると。目の覚めるような、痛快なメッセージでした。
十川  
ナルシシズムは、精神分析固有の領域を超えて濫用されている概念ですが、大部分はフロイトが作り出した概念とは無関係な形で使われています。フロイトは、あくまでナルシシズムをリビードの量の問題として考えていたわけで、単純な心理学的発想に基づくものではありません。日本語だと自己愛と訳されていますが、ナルシシズムは「自己」とも「愛」とも直接の関係はありません。この概念は極めて便利なので、病理の本質とは無関係に応用されてしまう。ナルシシズムは倒錯の問題であり、自我と欲動の病理です。ナルシシズムは人に快を与えるのではなく、不安や不快をもたらすという点を、明確にしておく必要があります。
立木  
幼児的万能感をナルシシズムと取り違える人が多いですよね。本書の意義の一つは、ナルシシズム概念の輪郭を引き締め直したことではないでしょうか。ただフロイトは、ナルシシズムの臨床像を明確に提示するには至らなかった。それを十川さんが、ご自身の臨床例で補って解説しておられるのが、非常に印象的でした。

症例は、四〇代後半の独身女性です。詳細は省きますが、「彼女は休みの日に一人でパチンコ屋に行き、見知らぬ男性の隣で、一日パチンコをしていると話したが、私はその姿を想像して、寒々としたものを感じた。一方で、セッションにおいても、私たちは互いに一人きりで、ただ二人で並んでパチンコをしているような感じがあった」と。これは切実なイマージュですね。

この症例を読んで、僕もナルシシズムについて思いついたことがありました。最近会った患者さんですが、人に興味がないことが明らかでした。夢をあまり見ないというので、記憶を語ってもらうと、最初に話したのが、家の階段を一番下まで滑り落ちたところで、キョトンとして周りを見回していると。僕は、これはこの人が生まれたときの景色だと思いました。この世に生まれるという根源的な出来事ですらどこか他人事で、何が起きたか分からずきょろきょろしている。苦痛な体験ですらない。むしろどこか平然と、自足しているのです。ナルシシズムという病理の本質は、そういうものなのではないかと。
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この記事の中でご紹介した本
フロイディアン・ステップ 分析家の誕生/みすず書房
フロイディアン・ステップ 分析家の誕生
著 者:十川 幸司
出版社:みすず書房
以下のオンライン書店でご購入できます
「フロイディアン・ステップ 分析家の誕生」出版社のホームページはこちら
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