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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2020年1月26日 / 新聞掲載日:2020年1月24日(第3324号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(40)

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ハタハタ漁の撮影に行った中平さんの原稿は最後の入稿になると覚悟を決めた。もっとも他の人たちが書き上げる目途が立っていたわけではない。他の企画のエッセイや広告が順調に入稿されるのにくらべて「特集」だけが進まなかった。

しかし私は「手慣れた風に書いてもらっては困るよ」と中平さんが言っていた通り、書くことのプロが難渋しているのはそれだけ真剣に相手にしてくれているからこそだろうと、むしろ嬉しい気持ちにもなっていた。

毎日昼近くになると依頼した各氏に順に電話した。中でも大辻さんへは遅い午後にした。早い時間にはめっぽう弱い人だったからだ。しかし毎日が空振りで「まだ一枚も進んでいないんです」と慌てる素振りも感じさせない悠然とした口ぶりで、さらにきまって「よかったら来ませんか」と言うのだった。時間の邪魔をすることになるのでお邪魔しない方がいいだろうと思いつつ、様子も知りたくてつい私は「ではお伺いします」となってしまう。結局は毎日のように家族の皆と一緒のテーブルについた。私は美味しく食事をいただきそれから大辻さんについて二階に上がる。ぽつりぽつりと話が始まる。二時間位も経つと「ああ、だいぶ方向が見えてきました。これから朝までがんばってみます」と大辻さんは言った。それを合図においとまをした。

めずらしく思い切って三日程おいて電話をした。すると「出来てますよ。取りに来てください。夕食の時間にね」と明るい大きな声が響いた。嬉しくて作業を放りだして向かった。着くと大辻さんはまだ寝ていた。深夜の作業を続けていたのだろう。奥さんは原稿の入った封筒をくれて、「さあ、今日はゆっくり食べましょう」と嬉しそうに皿に総菜を盛ってくれた。「お父さんは飲まないけどお酒はあるわよ。ほら山田脩二さんたちが来て勝手にやっているのよ、それがあるから飲みますか」と言う。大辻宅は桑沢デザイン研究所での教え子達の溜まり場だった。その日はさすがに一人では飲まなかったが、原稿依頼がきっかけとなって私も溜まり場によく行くようになった。

その翌日は特別な日になった。岡田さんも小林さんも「出来ました」となったからだ。私は赤坂と麹町へ行って、二つの宝物を受け取った。小林祥一郎さんからは「申し訳ない、指定の半分も書けませんでした。つまらなかったら約束通りボツにしてください。その連絡は要りません」と渡された。残すは中平さんただ一人。

大学構内のバラック小屋然とした編集局の電話にハタハタ漁から帰ってきたと言う連絡があったのはその翌日だ。「急いで写真を仕上げてそれから始めるからね。原稿は日吉で書くことにします」と。中平さんは実家のある綱島を、日吉と人には言っていた。その方が分かりやすいからだ。

待つこと一週間。連絡があってその日吉の実家へ行くと、彼は奥の部屋の和机で原稿用紙に向かっていた。「どうですか」と聞くと、「大丈夫」と片目をつぶった。そして「だけど問題が起きてね」と言うので私は身構えた。「原稿用紙と、インクが無くなりそうなんだ」。そんなことならと私は思い、明日持ってきますと伝えた。

中平さんは神楽坂の紙屋製の原稿用紙をいつも使った。作家が多く使うそこの原稿用紙を使うのは気障だねと言っていたが「いつものですね」と念を押し、そして「インクはゲーハーのロイヤルブルーですよね」と言うと、「それしかインクはないでしょ」と嬉しそうな表情になった。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)

   (次号へつづく)
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