記念すべきシンポジウムのあとで 「慶應義塾アメリカ学会第一回国際シンポジウム」レポート|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年1月31日 / 新聞掲載日:2020年1月31日(第3325号)

記念すべきシンポジウムのあとで
「慶應義塾アメリカ学会第一回国際シンポジウム」レポート

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去る二〇一九年一二月六日(金)、慶應義塾アメリカ学会第一回国際シンポジウムが同大学三田キャンパスにて開催された。三人の海外招聘教授による三つの基調講演と、日本を活動拠点とするアメリカ研究者による三つのパネルで構成された本シンポジウム「環太平洋、環大西洋、環文学史—脱アメリカ的アメリカ研究の到来」は、従来のアメリカ研究を更新し将来のアメリカ研究を占う非常にエキサイティングなものであった。
目 次

第1回
従来の研究を更新

パネルⅡ「環大西洋的想像力」
  本シンポジウムの直接的な契機は、二〇一九年三月に英国のラウトレッジ社から刊行された『トランスナショナル・アメリカン・スタディーズ必携』The Routledge Companion to Transnational American Studiesを言祝ぐことに求められる。シンポジウムに臨むにあたり、大学院の授業であらかじめ本書を読んでいた筆者にとって最も印象的だったのは、ミナ・カラヴァンタによるエドワード・W・サイード論であり、彼を「トランスナショナル・アメリカン・スタディーズ」の視点から再読する試みであった。とりわけ、写真家ジャン・モアとのコラボレーション作品『最後の空のあとで—パレスチナの人々』(一九八六年)After the Last Sky: Palestinian Lives (島弘之訳『パレスチナとは何か』[一九九五年岩波書店])が論じられる。重要なのは、サイードもモアも「トランスナショナルに」すなわち「国境を越えて」生きたこと、本作が両者の国境を越えた「コラボ作品」であること、加えて文章と写真の「メディアの垣根」も越えた試みであることだ。本作が描くパレスチナの人々とその「他者としての読者」は遠く隔てているものの、本作が後者を前者の地平にその「絶対的な境界を越えて」巻き込む文学的政治的実践の可能性を、カラヴァンタは再評価してみせる。

しかしながら、『最後の空のあとで』を読んだあとで感じられた違和感は、カラヴァンタ論文を読んだあとでも消えなかった。それは、時折挿入されるサイードの自己告白に求められる。確かに、サイードの文章とモアの写真はカラヴァンタが指摘するように「対位法的関係」にあり、互いが互いを一つの抽象的言説に止揚させない「非弁証法的対話」を実践していよう。しかし、その語りの転調はより複雑だ。サイードは突如モアの写真を自身に肉薄する幼少の記憶に接続させる。それは、モアの写真に対するあまりに唐突な「侵食」のように映る。なぜサイードはここで自己を語るのか? トランスナショナル・アメリカン・スタディーズ、ないし「脱アメリカ的アメリカ研究」が他者に、遠く隔てた他者の声に耳を傾け、その地平をきりひらいていくものであるならば、自己という内奥に目を向け、その小さな記憶の箱を開示し語ることは、一体いかなる関係にあるのか? サイードはここで何をしているのか?

そのような漠然とした疑問を抱えて、筆者は当日に臨んだ。午前一〇時、加藤有佳織助教による総合司会のもと本シンポジウムは幕を開ける。開会宣言を松浦良充教授(慶應義塾大学文学部長)が、開会の辞を巽孝之教授が務められたのち、早速マーク・セルツァー教授(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)による基調講演「トランジット・ゾーン—システム時代のアメリカ小説」“Transit Zones: The American Novel in the Systems Epoch”が行われた。高度に記号化された現代を「システム時代」と呼びながら「ゾーン」や「ジャンル」を鍵語に柄谷行人およびコルソン・ホワイトヘッドやトム・マッカーシーを参照し、「脱アメリカ的アメリカ研究」の方法論的可能性を問う。その視点は、続くパネル「アメリカ文学史再考」に引き継がれる。田ノ口正悟氏、細野香里氏、志賀俊介氏、および筆者小泉は、各々の博士論文研究から発表を行った。初期アメリカの女性詩人アン・ブラッドストリートおよびコネティカット・ウィッツから、一九世紀のロマン派作家ハーマン・メルヴィル、リアリズム作家マーク・トウェイン、そして現代のインド系アメリカ作家ジュンパ・ラヒリ、ひいてはポップの帝王マイケル・ジャクソンに至る一見ランダムな連なりに通底されるのは、人種的境界を越えた「他者」の視線を内面化するアメリカの後ろ暗さであり、それは「アメリカを読み直す」脱アメリカ的な視座によってこそ浮かびあがる諸相であった。
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