福永武彦の詩学 書評|山田 兼士(水声社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年2月1日 / 新聞掲載日:2020年1月31日(第3325号)

福永武彦の詩学 書評
福永武彦の「原音楽」
『死の島』を「音楽的小説」の完成形として

福永武彦の詩学
著 者:山田 兼士
出版社:水声社
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福永武彦の詩学(山田 兼士)水声社
福永武彦の詩学
山田 兼士
水声社
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 福永武彦が最後に発表した長編小説『死の島』は、日本文学史に残る名著であり、私を含め彼の作品の中でも本作を最高傑作に挙げる愛読者も多い。広島での被爆者である画家・萌木素子と、彼女に興味を持ち次第に魅かれていく文学青年・相馬鼎を中心とした物語であるが、構成は複雑さを極めていて前衛的とも言える。

物語の軸は素子とその友人、相見綾子が自殺を図ったという報を受けた相馬が東京から広島に向かう二十四時間。そこに過去十ヶ月ほどの追走、一部がカタカナで書かれている萌木素子の「内部」、読点のみで句点のない箇所もある「或る男」の独白、さらに相馬鼎の書きかけの小説三作品と、計七つのエピソードに分かれている。構造についてだけ読めばさも難解な代物であろうという印象を持たれてしまうが、私は福永文学の中でこれほど明解で心へ自然に入ってくる作品を知らない。分厚く文字が小さい新潮文庫版二冊を文字通り寝食を忘れて読み、その文学空間に浸ったことを今でも忘れられないでいる。

本書は『死の島』の詳細なテクスト分析を中心として、福永武彦の小説が持つと言われる音楽的な構成を「詩学」と位置づけ、その「音楽」とは何だったのかを明らかにしたものである。そもそも福永武彦は自らの文学活動をボードレールの「まねび」として始めた、という経緯があると著者は位置付ける。しかし、マチネ・ポエティク期に残した詩以外彼は主だった詩を書いていない。そのような彼がどのような形でボードレールから影響を受けたのだろうか。

それは福永自身がボードレールの作品から「原音楽」という概念を生み出したということに尽きる。福永は著書『ボードレールの世界』の中で「原音楽」を詩人が聴く「黙した物の語る声」であるとしている。匂いや色、秋の空などそれぞれの中に「原音楽」の調べを聴きボードレールは詩作をしてきた、と福永は考えた。

よって小説にそれを応用する際、登場する事物はもとより、作中人物に表象される印象や性格、愛や孤独といった観念なども「原音楽」として奏でられ、風景描写やその他小説を構成する要素として有機的に働いてくるのである。

『死の島』を初めから読んでいくと一見、時間軸も内容もバラバラな七つのエピソードが、まったく自然に配置されている感覚を抱く。一つ一つの断片や登場人物たちの心の奥底に流れる「原音楽」が、要素として時には明と暗の対位法的、また時には死の影のシンフォニーを奏でる和声法的な構成にしっかりと組み込まれるからだ。著者は福永が自身の文学理念である「音楽的小説」の完成形が『死の島』であったと述べる。音楽的であるから、耳で聴くようにスッと身体に染み渡ってくる。これが『死の島』を複雑な構成にも関わらず明解な小説として成立させている理由である。

「黙したものの語る声」という「原音楽」は、文字通り黙した「死者の声」も響かせる。福永文学にあって死は彼の全作品の通奏低音ともいうべき主題だ。戦争と病という二つの「根源的絶望」を内部に宿した福永の「死」への意識は必然的に終末の意識に結びつく。それは『死の島』において、被爆直後の凄惨な状況下で人々が「物」になっていく情景を目撃した素子が奏でる虚無と根源的な悪の「原音楽」に象徴されている。ここに『悪の華』を著したボードレールの視点が働いていることは、確かであろう。本書が指摘したボードレールの「原音楽」を小説に変奏した福永武彦の詩学は、今をもってしても、読むものの心を打つ。
この記事の中でご紹介した本
福永武彦の詩学/水声社
福永武彦の詩学
著 者:山田 兼士
出版社:水声社
以下のオンライン書店でご購入できます
「福永武彦の詩学」出版社のホームページはこちら
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