デッドライン 書評|千葉 雅也(新潮社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2020年2月1日 / 新聞掲載日:2020年1月31日(第3325号)

デッドライン 書評
「わかること」と「なること」と小説
小説ならではの「声=態」が聞こえてくる

デッドライン
著 者:千葉 雅也
出版社:新潮社
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デッドライン(千葉 雅也)新潮社
デッドライン
千葉 雅也
新潮社
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 こんなフランス現代思想専攻の大学院生がいたら、研究とは無縁な立場で――そう、ドトールで、偶然隣り合って――ぜひ出会ってみたい、と思ってしまうほど、育ちのよさを感じさせる純真な若者が主人公で、語り手だ。時は二〇〇一年、場所は久我山を中心とした東京周辺、「僕」は大学院に進んだ修士一年生で、修士論文を書こうとしている。集団行動は苦手だと自身は言うけれども、新旧の友人たちを大事にしていて、研究者にありがちな、仲間内だけで話し、難しい話が通じない者は相手にしないといった狭量さとは無縁だ。どんな人にも衒いなく接する彼の振る舞いは、読んでいてとても魅力的だが、それはこの小説において重要な美徳でもある。なぜなら彼の、様々な立場の人と接触し、関わり合うあり方は、彼が大学院に進み研究の道を志すということが、専門の世界でキャリアを伸ばしていくといったこととは別次元で、彼の生きるということ、実存そのものと深く関わっていることを示しているからだ。問題になっているのはつねに、「わかること」あるいは「わからないこと」である。何かが直観的に「わかる」とは、あるいは逆に、自分の感じ方は他人には「わからない」とはどういうことか、「わからない」は「わかる」に変わりうるのか、変わりうるとしたらどのようにしてか、といった問いが彼のなかで、彼のそばで、いつも燻っている。そして彼にとってこの問いが切実なのは、彼を支えるゲイというセクシュアリティがたえずこの問いを引き起こすからである。学友たちと親しく付き合いながらも、「男同士の関係性の外に置かれてきた」ゆえに、ふとした瞬間に訪れる「恥ずかしさ」や「怖さ」、「ノンケの男に対する距離」、「速度」の違いの感覚、また、男とのセックスでのHIVへの真の恐怖、といったものがこの問いを引き起こす。

この「わかること」「わからないこと」の問いは、大学の場面では指導教員の徳永先生の教えを通して展開され、そこで「なること」の問いと接続される。他者の内面がわかるとは、他者になることなのか、それはありうることなのか。徳永先生の専門は中国哲学だが、「僕」の関心は元々「フランス現代思想」にあって、その条件を追究するようにして、まずはマルセル・モースの人類学をテーマに選び、後にドゥルーズへと導かれる。二〇〇〇年代、まだかろうじて「カッコいい」ものに見えていた――いまはどうだろう――「フランス現代思想」が、一人の大学院生にとって実存的な問いと切り離しがたいものとしてあったということは、心を打つことである。ただし、徳永先生が中国哲学の専門家であって、謎めいた『荘子』の逸話の数々を先生が語ることで、後に「僕」がドゥルーズを通して追究する「なること」の問いが暗示されるという構図は、物語としてあまりに上手いがゆえに、いささかずるくもある。この小説で評者にとって魅力的だったのは、圧倒的に、大学の中よりも外である。とりわけ、ハッテン場で会った「職人」との再会、ダンサーを目指す純平とのラーメン屋とドトールでの出会いと付き合いは、もっと追っていたいと思った。

この小説が何より稀有なのは、「わかること」と「なること」の問いが、小説にしか出来ない仕方で追究されていることである。すなわち、「僕」の断章的な一人称の語りのなかに、鉤括弧のない自由直接話法の形で徳永先生などの他の人の言葉が入り込んできたり、「僕」視点の固定焦点化で書かれているにもかかわらず、ときに「僕」には見えないはずの同級生の知子の様子が報告文ではない文体で書かれたりして、語りの「僕」の輪郭線が溶け始め、境界上で相互浸透が起き、あるいは、「僕」が不定形な塊になって他人の方に伸びてゆく、といったことが起こる。そのときに聞こえてくるのは、小説ならではの「声=態」である。こうした声が聞こえてくる作品には、ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』やトニ・モリスンの『青い眼がほしい』などがある。ニコラス・ロイルという脱構築派の批評家は、全知の語りという概念を避けて、小説に固有のこの声のあり方を「テレパシー」と呼んでいる。「僕」とケータイで話している「僕」に見えないはずの知子が冷蔵庫を開けて入れたままのブロッコリーに気づく場面などは、まさしく「僕」と知子の間にテレ―フォンからテレ―パトス(遠隔―情感)が生じている瞬間である。

この相互浸透的な声=態は、しかし、「僕」の修士論文を完成に至らせはしない。徳永先生の助言を受け、実家に学費を用立ててもらって、「僕」は再び修士論文に取り組む一年を過ごすことになるだろう。そのことも含め、『デッドライン』は自己探求の途上にある若者の「成長小説ビルドゥングス・ロマン」であるのだが、読者としては、「僕」がこのさき博士課程に進んでも、アカデミズムの垢にまみれずいつまでも実存的な探究をし続けてほしいと願わずにはいられない。
この記事の中でご紹介した本
デッドライン/新潮社
デッドライン
著 者:千葉 雅也
出版社:新潮社
「デッドライン」は以下からご購入できます
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