人を知る法、待つことを知る正義 東アフリカ農村からの法人類学 書評|石田 慎一郎(勁草書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2020年2月7日 / 新聞掲載日:2020年2月7日(第3326号)

人を知る法、待つことを知る正義 東アフリカ農村からの法人類学 書評
「法」に関する根本的な問いへの示唆
ケニアの呪術を用いる紛争処理、「人間」の存在を問う試み

人を知る法、待つことを知る正義 東アフリカ農村からの法人類学
著 者:石田 慎一郎
出版社:勁草書房
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 私たちの日常生活では、絶えず小さないさかいが発生している。たいていの場合、そうしたいさかいは当事者間で解決されるのが常であるが、当事者間で解決がなされず、第三者の介入を必要とする紛争(conflict)に発展する過程で、しばしば法を用いた解決策がとられることになる。だが、そもそも紛争に解決を促す「法」とは、どのような性質をもち、人間はなぜ、法に従おうとするのだろうか。なにより、私生活で生じる紛争の全てが表面化され、みなが法に従う―いうなればそこに存在しない第三者を含む価値観が言語化された法によって、即時的な解決が導かれる―社会とは、はたして健全なのだろうか。

本書に記されるケニアの呪術を用いる紛争処理は、これらの法に関する根本的な問いに向かい合う際に多くの示唆を与えてくれる。本書に登場するイゲンベ地方の事例では「ムーマ」、「イシアロ」という呪術的概念を用いて紛争解決が図られる。ムーマでは、非があると判断された当事者に、潔白であれば無害であるが、そうでない場合に厄災をもたらす呪物を飲ませる。また親族関係の社会関係イシアロを利用した紛争処理では、虚偽の証言や主張を行ったとおぼしき当事者に災いがふりかかる呪詛がかけられる。いずれの場合でも、厄災が生じるまでの期間は、数日のときもあれば数年、あるいは数十年にものぼる。紛争当事者に何らかの厄災が降りかかった場合、当事者が自らの非を認めれば、それらの厄災は解消される。こうした呪詛を用いた紛争処理には、性急な解決を避けることで、時間の経過によりその当事者をとりまく環境が変化し、自分の行為を紛争発生当時とは異なる視点で再解釈できるようになる利点がある。こうしたイゲンベの紛争処理は、人が人を裁くことのうちにある困難を時間の経過「待つ」ことによって、乗り越えようとする試みであるともいえよう。

本書では、イゲンベの呪術を用いた紛争処理について言及するだけではなく、慣習法を裁判所で用いる試みにも言及されている。イゲンベで行われる数々の訴訟では、『成文アフリカ法』を用いると同時に、部族のルールである慣習法が使用される。植民地化によって民族・部族が分断されたアフリカにおいて、慣習法をベースに成文法としてアフリカ法を制定し、裁判において慣習法を用いることは、共通の価値をもつ共同体を再構成する試みである。すなわち、イゲンベにおける紛争処理は、人間を法の支配下にある存在として単に位置づけるのではなく、法を制定し、慣習法を利用するプロセスを通して、主体的に法を使い直そうとする「人間」の存在を問う試みであることにも読者諸氏は気づくであろう。

本書に登場する「待つ」ことを紛争解決の手段に取り込み、「人間」の姿を訴訟を通して追い求めるイゲンベの数々の事例は一編の叙事詩のようでもある。読者を飽きさせることはないだろう。
この記事の中でご紹介した本
人を知る法、待つことを知る正義 東アフリカ農村からの法人類学/勁草書房
人を知る法、待つことを知る正義 東アフリカ農村からの法人類学
著 者:石田 慎一郎
出版社:勁草書房
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