功利主義をのりこえて 経済学と哲学の倫理 書評|アマルティア・セン(ミネルヴァ書房 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2020年2月8日 / 新聞掲載日:2020年2月7日(第3326号)

功利主義をのりこえて 経済学と哲学の倫理 書評
リベラリズムから現代社会を読み解く
理論経済と社会哲学のダイアローグ

功利主義をのりこえて 経済学と哲学の倫理
著 者:アマルティア・セン
編集者:バーナード・ウィリアムズ
出版社:ミネルヴァ書房
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 本書は、1982年に書かれた、アマルティア・センとバーナード・ウィリアムズの経済学と哲学の両巨頭が編纂した、大書Utilitarianism and Beyondの邦訳(2019年)である。原書での刊行から約40年たってからの、長年待たれた「古典の翻訳」とあって、経済学と社会哲学の研究者はもとより、広く人文・社会科学に興味を持つ学生や社会人が読む、「骨太」な研究書というにふさわしい。監訳者の後藤玲子氏は一橋大学経済学部でアマルティア・セン思想を含め、経済哲学をひとすじに研究を深めてこられ、ご自身も『潜在能力アプローチ』(岩波書店、2017年)や『正義の経済哲学』(東洋経済新報社、2002年)に代表されるご業績があり、本書全体のクオリティを高めている。

これまで、開発経済学の研究者、ないし国際開発の実務家(世界銀行エコノミストなど)として、センの作品に親しんできた。そのうち、『アイデンティティと暴力』を2011年に勁草書房から出版させていただき、2001年9月11日に発生した、いわゆる「同時多発テロ事件」以降の世界をどう生きるか、アイデンティティの単純化・矮小化を防ぎ、異なる宗教や人種の間で暴力の温床を防ぐことができるか、一般読者層を想定しており、わりと広範囲に読まれ、再版を重ねている。また、早稲田大学(国際教養学部)で講ずる「経済開発論」の授業においても、センの著書は『アイデンティティと暴力』以外にも、『自由と経済開発』、『不平等の再検討』など多数扱っており、早稲田に来ればアマルティア・セン研究ができると勘違い(?)して入学してくれる学生も少なくないと聞く。

それはさておき、先日開発経済学の大家であるラビ・カンブール(コーネル大学)教授が来日した際に、夕食をともにしながら、カンブール教授のオクスフォード大学(博士課程)時代の論文指導教官でもある、セン、スティグリッツ、マーリースの3教授(いずれもノーベル経済学賞を受賞している)の「取説」を披露してもらった。うち、センは「理想を語る夢想家」、スティグリッツは「話はじめたらいつのまにか一緒にロンドン行の汽車に乗っていたこともある、議論家」、マーリースは「提出期限や文字数など細かいことに厳格な実務家」と評されていた。本書はいわば、夢想家と実務家による作品ともいえるだろう。

本書は、序章(セン・ウィリアムズ共著)をのぞき、ジョン・ロールズ、パーサ・ダスグプタ、ジョン・ハルサニーら経済学・社会哲学の大家たちが、書き綴った14章からなる論文集であり、文字通り大書(参考文献、索引を除き420ページ)であり、この場ですべてを紹介することはできない。そこで、いくつかの論文に絞ってご紹介していきたい。

まず、序章において、セン・ウィリアムズが1980年代初頭の当時、人文社会科学が直面していた、ある共通の危機感を共有していたことを如実に示している。それは、功利主義があまりにも台頭していたため、個人の合理性に対する過度の期待が形成され、本来多様な方法論があってしかるべきところ、プロセスの倫理性よりも結果を重視する考え方(「帰結主義」)に支配されていたのである。

帰結主義の行きつく先は、多様性を否定する「一元主義」である。本書でも、モニズムによる弊害は、善の多様性(第6章、チャールズ・テイラー)、社会統合と基本財(第9章、ジョン・ロールズ)など様々な形であらわれてくる。より具体的な問題提起として、「学校に行くことの有用性は何か」(第14章、エイミー・ガットマン)という問題にもつながっていく。

ガットマンは説く。教育の有用性は、将来幾ら稼げるようになるか、とか、社会でどれだけ尊敬ある立場に就くことができるか、という功利主義的な尺度のみで測定すべきか。伝統的な生活様式を営み、正規の学校教育を否定する、アーミッシュの子供たちないしその親たちは、自由な選択権がないから不幸だと決めつけられるのか。いずれも否である。

いま、経済開発の世界では、いかにSDGs(持続的開発目標)を達成するべきかが関心事である。2030年までに達成すべき、17の目標が設定され、教育もその大きな目標の1つとして掲げられている。ただ、教育を提供すれば、人々はより多くの就業機会やより高い賃金を得られるだろうという、暗黙の了解に基づいており、ガットマンの危惧が未解決のままだ。他の開発分野(貧困、不平等、環境など)も、一見、多様性が確保されているようにも思えるが、その実、17の分野について、それぞれのモニズムが積み重ねられただけの印象を持つ。本書で発せられた警告は未解決のままであり、重要な意味を持ち続けているのである。

センは本書を出版した後、経済学に対するモニズム批判への「答え」として、ケイパビリティ論を提唱し、開発の本質は、人間がいかに各自に与えられた潜在能力を発揮できるかであり、それが欠乏した状況を真の意味で「貧困」ととらえるべきであり、所得・消費といった「一元的」ベクトルからとらえるべきでないと説き、その理論的貢献がノーベル経済学賞の受賞(1999年)につながった。

SDGsの下地となった、MDGs(ミレニアム開発目標)はセンのケイパビリティ論を具体化させたものと考えられている。しかし、果たして、「功利主義」を乗り越えた先にあるはずの、ケイパビリティ論の帰結が、もし、新たなモニズムの積み重ねにすぎないとしたら、きわめて皮肉な話である。 
本書は決して「読みやすい」本ではない。しかし、どのページからはじめてもよい。本書をつまみ食い的に読みつつ、教育とはどうあるべきか、貧困・不平等の真の問題はどこにあるべきか、発想を飛ばしながら思いを巡らせればよいであろう。そうした読書体験を積み重ねるうちに、いつの間にか現代社会をより批判的でリベラルな視点から読み解く力がつきそうである。
この記事の中でご紹介した本
功利主義をのりこえて 経済学と哲学の倫理/ミネルヴァ書房
功利主義をのりこえて 経済学と哲学の倫理
著 者:アマルティア・セン
編集者:バーナード・ウィリアムズ
出版社:ミネルヴァ書房
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