〈ポスト・あいちトリエンナーレ〉の最前線となった瀬戸内海の島  「アートベース百島」の対話イベント「芸術とプロパガンダ」をめぐって|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 特集
更新日:2020年2月7日 / 新聞掲載日:2020年2月7日(第3326号)

〈ポスト・あいちトリエンナーレ〉の最前線となった瀬戸内海の島
「アートベース百島」の対話イベント「芸術とプロパガンダ」をめぐって

このエントリーをはてなブックマークに追加

瀬戸内海に浮かぶ百島(広島県尾道市)は、穏やかな気候に恵まれた風光明媚な島だ。とはいえ、御多分に漏れず、過疎化に悩まされているこの離島を現代アートで活性化させるべく、現代美術家の柳幸典が、旧百島中学校舎を改修して「アートベース百島」を設立したのは、2012年のことである。昨年10月から12月にかけてここで開催された企画展「百代の過客」(「憲法」「プロパガンダ」「表現の不自由」をそれぞれテーマとする三回の連続対話と、それに関連する作品展示)は、今年9月にオープンする国際芸術祭「ひろしまトリエンナーレ」のプレイベントとして位置づけられていた。

ここまでは、現代アートと国際芸術祭による地域振興という話だったのだが、この百島の企画展には、あいちトリエンナーレで一時中止になった「表現の不自由展・その後」(以下では「不自由展」と略記)に出品していた大浦信行や小泉明朗の作品も含まれていた。昭和天皇の写真の扱いをめぐって、「不自由展」でとりわけ物議を醸した大浦の映像作品『遠近を抱えてpartⅡ』や、そのもととなった版画シリーズ《遠近を抱えて》などである。「不自由展」をめぐる紆余曲折とトリエンナーレ閉幕直前の再開、文化庁によるあいちトリエンナーレへの補助金不交付決定など、芸術と政治の関係が緊迫の度を増してきたところ、(「不自由展」が一時中止になる前から準備が進められていた)百島の「百代の過客」が、いわば「ポスト・あいちトリエンナーレ」の最前線として、電凸(電話、ファックス、メールなどによる攻撃)やSNSでの批判も含め、俄然脚光を浴びることとなったのだ。

連日で対話が行われた11月16・17日は、17日の対話「表現の不自由を越えて」に大浦・小泉の作家二人が登壇するということもあって、両日ともトーク会場は満席で、多数のマスメディアが取材に訪れた。特に17日は、警察官・警備員に加え、金属探知機も設置されるなど厳戒態勢が敷かれたが、幸いなことに危惧されるような事態は起こらなかった。筆者は、16日の対話「芸術とプロパガンダ」の登壇者の一人として、この日のイベントについてレポートする。
目 次

第1回
芸術とプロパガンダ

大浦信行〈遠近を抱えて〉1982-1983
16日の対話「芸術とプロパガンダ」には、近現代史研究者の辻田真佐憲、社会学者の毛利嘉孝(東京藝術大学大学院教授)と美術史家の筆者が登壇した。イベントは、登壇者がそれぞれ、自身の研究の観点からプロパガンダについて語ることから始まった。

筆者は、歴史的な観点から芸術とプロパガンダの関係をたどった。そもそも、芸術とプロパガンダは密接な関係にあり、古代メソポタミアから、勝者の偉勲と栄光を記録し称揚する、プロパガンダ的な戦勝記念碑(記念柱)、凱旋門、戦争画などが制作されてきた。ここで重要なのが、現代のプロパガンダの原型と考えられる、第一次世界大戦時のプロパガンダである。第一次世界大戦では、プロパガンダのために挿絵やポスターが大量に制作されたが、それ以上に戦争の表象やプロパガンダを根本的に変える契機の一つとなったのが、写真と映画である。瞬時性・簡便性・迫真性、そしてセンセーションに飢えた「大衆的受容」ゆえに、戦況を瞬時に記録して伝達する役割や、真実らしさに訴えるプロパガンダは、もっぱら写真と映画が担うようになった。しかしながら、写真や映画の「迫真性」は、真実とは限らない。

辻田は、プロパガンダを「政治的な意図にもとづき、相手の思考や行動に(しばしば相手の意向を尊重せずして)影響を与えようとする組織的な宣伝活動」と定義する。辻田も、プロパガンダとアートは必ずしも対立しないことを強調したうえで、プロパガンダ作品が文脈に大きく依存すると指摘した。他方、独立したアーティストが作品に政治的見解を込めても、組織的でない限りプロパガンダとはいえず、オピニオンのようなものだとする。また、プロパガンダは、最新のエンターテインメントと結びつくものだとも指摘した。

毛利は、「ラジオとPAシステムがなければヒトラーは生まれなかっただろう」というマーシャル・マクルーハンの言葉を引き合いに出して、第二次世界大戦期のプロパガンダに大きな役割を果たしたラジオの持つプライベートな感覚が、現在のSNSに通じるとし、政府や市民がSNSを通じてメディアに働きかけるような新たな状況が生じていると指摘した。
このエントリーをはてなブックマークに追加
読書人紙面掲載 特集のその他の記事
読書人紙面掲載 特集をもっと見る >
文化・サブカル > 文化論関連記事
文化論の関連記事をもっと見る >