中平卓馬をめぐる 50年目の日記(43)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2020年2月10日 / 新聞掲載日:2020年2月7日(第3326号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(43)

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「フォトクリティカ」創刊号表紙と目次㊧(1967年12月発行)
クリスマスも近くなって、完成した創刊号が製本所から大学構内の編集室に運び込まれた。奥付の発行日を12月1日としていたのでひやひやしていたが、これくらいは誤差の範囲だと言って納品を皆で祝った。

早速手に取って頁をめくる。すぐに「誤植発見!」という声が次々と上がった。見ると巻頭の頁の見出しからして誤植だ。目次の対頁に創刊のメッセージを載せていた。それが「MASSAGE」となっている。「MESSAGE」でなければならない。校正が何とも杜撰だった。そしてまた寺山修司さんのタイトルが「リチーァド・アベドン―レンズの青髭」となっている。これも「リチャード」でなければならない。私は嬉しさも吹っ飛んで落胆し、それ以上頁を繰るのが怖くなった。

だがとにかくお世話になった執筆陣にはその日のうちに届けたい、手分けして私は大井町の方の稽古場にいた寺山さんと日吉の中平さんの所へ向かった。

寺山さんにはお礼の言葉もそこそこにまずおそるおそる誤植の報告をしてお詫びした。呆れられるだろうとその反応が怖かった。しかし寺山さんは少しも動じず、「何の問題もないじゃないか」、そして逆に「そんな些末なことを気にしてはいけない」と言った。寺山さんの気遣いに感謝した。
それから次に中平さんの所へ行った。実家に着いて出来立ての「フォト・クリティカ」を渡すと、「ついにやったね。よかった、よかった」と喜んでくれた。そして気づかれぬうちに私はメッセージの誤植を白状して「恥ずかしいです」と言った。中平さんはそこをじっと見つめてから「これはすごいメッセージだよ。これは間違いに気づいたやつの方が自分の間違いではないかと考え込む。誤植とは思わないよ。出だしからカウンターパンチがヒットしたって感じだね」とまくし立てた。
「これは目くらましだ。マクルーハンのメディア・イズ・メッサージからとったなって思うよ。そしてメッセージはマッサージだって言う皮肉を飛ばしたなって思うよ、きっと」と、理屈立てた。

好意には続刊作りで応えなければと思った。私は自分を鼓舞して、次号特集のための原稿依頼を渋谷に着くなり駅頭の電話ボックスですぐに始めた。また独断専行だったが、多木浩二さんと東大新聞研究所の荒瀬豊教授、そして吉増剛造さん、長田弘さんに電話した。これは私の中平さんにもらった赤いノートにしたためておいたプランだった。

多木さんには「出来たんですね。それはおめでとう、明日にでも青山の事務所に来ませんか」と言われた。

荒瀬さんには会ったこともないので電話の目的を話すことからして緊張した。けれど明るい穏やかな口調で「写真の批評誌ですか。それは楽しみです。でも私がお役に立てるかどうか。とにかく一度いらしてください。今年は週に一度しか教室に出なくともいいのでずっと研究室にいます。龍岡門から構内に入ってくる方が分かりやすい建物です」と言った。

吉増さんにも面識はなかったが、電話伝いの初めての声は明るくとても丁寧で、「面白そうなことをやらせてもらえそうですね。明日新宿で人に会うのでその後お目にかかって話を聞きましょう」と面会の申し出を受けてくれた。そして長田弘さんには「このところはお茶の水の晶文社によく行っているのでそこで会いませんか」と言われた。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授) (次号へつづく)
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