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ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
更新日:2020年2月10日 / 新聞掲載日:2020年2月7日(第3326号)

連載  脚本に依存しない映画作家   ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 140

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2005年中国において
HK 
 ブニュエルのインタビュー本があります。質問に真面目に答えるのが嫌なようで、おおよそに適当な返答をしています。しかし、登場人物についての質問になると、監督として答えるのではなく、「彼らならどうするだろうか」と質問を返してインタビュー相手を困らせています。
JD 
 そのようにして、ブニュエルが一番自分の映画をよくわかっていたのです。監督が「お前はこうしろ。お前はああしろ」と指示するのではなく、ブニュエルの映画は映画の中の論理によって機能しているのです。
HK 
 行き着く果ては『自由の幻想』ですね。
JD 
 晩年になると、物語の道筋もなくなり、連続していく欲望のみによって映画が展開していくのです。
HK 
 トリアーに話を戻します。トリアーは、作品の発表ごとに新たなマニフェストを発表しては、冷ややかな目で見られていました。例えば有名なものでは〈ドグマ95〉がありますがご存知ですか。
JD 
 知ってはいます。
HK 
 時代錯誤のシネマヴェリテもしくは出来損ないのヌーヴェルヴァーグのようだと非難されていました。しかし、そうしたマニフェストを表明して、デンマーク映画に運動を作った後に、真っ先にトリアーが見限っています(笑)。
JD 
 それが正しかったと思います。
HK 
 その他にも様々なマニフェストがあるのですが、彼の話だと、何よりもまずマニフェストが好きだということです。そして、同時にマニフェストが作品毎に、映画の基礎になっているようです。つまり、シナリオやスタイルを制限するための基礎として機能している。さもなければ、何でもかんでも一つの作品に詰め込んでしまうといったことも語っています。他の偉大な映画作家を考慮すると、ゴダール、フェリーニのように脚本以外から映画を作る例がたくさんあります。
JD 
 当然のようにして、映画を作る上で脚本が必ずしも必要なわけではありません。ゴダールの映画を見ればわかりますが、彼の映画において物語の道筋は、それほど重要なものではありません。しかしながら、物語を語ろうとする他のどの映画よりも面白い(笑)。
HK 
 ゴダールは、メモ書きのようなシナリオを毎度書き残してはいますね。
JD 
 もちろん。しかしゴダールは、最初期から脚本を書く気がなかった。そして、その必要もありませんでした。
HK 
 ゴダールは「マック・セネットの時代には脚本はなかった。カメラ一つ持って、俳優と撮影に行くだけで十分だった。その日行なったことをスタジオに伝えるためのメモ書きがあっただけだ。後に、プロデューサーが仕事を管理するために、そのメモ書きを先に求めることになった。それが映画脚本の起源になった」と、しばしば言っています。
JD 
 いつものことですが、ゴダールは誰よりも映画を考えているのです。つまり、映画の初めにはモンタージュがあり、撮影も一種のモンタージュであり、そして編集というモンタージュの段階で映画が生み出されることを唯一考え続けている映画作家なのです。彼にとっては、よく推考された脚本とは邪魔なものでしかないのです。
HK 
 ドゥーシェさんの古くからの友人だと、ロメールは脚本を持たずに手ぶらで撮影に行くという逸話がありますね。
JD 
 ロメールはゴダールと異なり、頭の中で完全に脚本が出来上がっていました。彼はそれを映画の形にするだけでよかったのです。確かに、ロメールの脚本というのは――非常によく書かれたものです――存在しています。しかし、これは周囲の人々に何をするか指示するためのものだったのです。
HK 
 フェリーニが脚本を書けなくなった際に行なっていたことをご存知でしょうか。彼は映画の世界に入る前には、ジャーナリストとして風刺画を描いていました。それもあって、映画撮影の前には、毎度グロテスクな女性など登場人物のイラストを描くことから始めて、そこから映画の内容を膨らませていったそうです。
JD 
 彼の映画からは、そのような方法論を見ることができます。しかし、フェリーニは私の本当に好きな映画監督ではありません。彼の持つ悪夢のような世界観よりも、パゾリーニやヴィスコンティの映画の方が好きです。フェリーニにおいては、いつもグラマラスな女性がおり、道化師や様々な登場人物が姿を現し、世界を混乱させていけばよいのです。

   〈次号へつづく〉
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテーク・ブルゴーニュ)
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