文芸 〈二月〉 荒木 優太 ちょこれーとくださいフラッグ  櫻井信栄「二〇一三年」、樋口恭介「盤古」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年2月10日 / 新聞掲載日:2020年2月7日(第3326号)

文芸 〈二月〉 荒木 優太
ちょこれーとくださいフラッグ
櫻井信栄「二〇一三年」、樋口恭介「盤古」

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みんな大好き「すばるクリティーク賞」が初めて受賞なしの結果に終わった。最近この四文字をよく見かける。一つ前の群像新人評論賞と文學界新人賞も受賞なし(ちなみに、どちらも選考委員がリニューアルされた第一回でともに東浩紀がいてちょっと笑う、そういうキャラなんかい)。下読みバイト、編集者のお給料、委員の先生方への謝礼など、つぎ込んできた数々の費用がすべて水泡に帰す……バタイユも真っ青な無駄使い祭に権威のコストを改めて噛みしめる。全員の支払明細でビンゴやろうぜ。

そんなすばクリ関係者もちらほら参加する反ヘイトのための言論誌『対抗言論』(法政大学出版局)が創刊された。一篇のみ櫻井信栄「二〇一三年」という小説が掲載されている。新大久保で行われた反韓のヘイトデモを中心的な焦点として、韓流食堂の女将さん、デモのヘイター、韓国で日本文化を教える大学教員、在日二世の小説家という四つの視点人物へと次々に推移していく。小説として完成度が高いかどうか、また人物の造形に関するデリケートな部分への大きな疑問とは別に、興味深い細部だと思ったのが、プラカードよりも日の丸や旭日旗を好むヘイターの心情として「裏からすかしてみても何の旗かすぐわかるからいいよね」と説明するくだり。ここには左派よりも右派に道徳的優位性を与えたい心理がつづめられている。つまり、右派と違って左派は、権利よりも自分たちの伝統を、正義よりも快を優先させることを本性的に禁じられているが、その分裂は別の価値観からすると建前と本音、表と裏を巧みに使い分ける卑怯とうつる。どんなに醜悪な本音だったとしても、それを隠さないことにはいくぶんかの誠実さがある(と感じられる)。裏表を無視できる対称的な記号がもつシンボリックな包摂性に比べて、プラカードの言葉は「うしろからだと棒に紙をテープではったのが見えるだけで、なに主張してんだかぜんぜんわかんないよ」。

言葉には裏がある。裏返すとまるで違う意味/不明を帯びる。しかし、裏にあるものが常にそのことの本質なのか。櫻井作の「吃音」に悩まされる在日小説家は、寿司屋で「タイ」や「ナマシラス」を食べたいのに、発音のしやすさから別のものを注文せざるをえないものの(大杉栄と下弦の月)、「最近はそんな偶然も楽しめるようになってきた」と締めくくる。言葉の裏には身体的障碍があるが、「偶然」への諾を経ることで、裏にあるものを本質として定位しない。言葉と身体の紐帯がこれを約束する。この示唆を受け止めるのならば樋口恭介「盤古」(文藝)には不満が残る。言語を一種の生命体として捉える言語生物学者の愛の記憶が語られるが、彼の「軽い吃音持ち」の曾祖父は中国にある「言葉の樹」の実を食べていた。光に包まれて思考をあるがままに伝える「原初の言葉」を手に入れるが、「それは声ではなく、音ではなかった。そのため吃音も出なかった」という。なぜ原初の純粋な言葉に「吃音」があってはならないのか。「吃音」からすべてが始まるのだとなぜ考えてはいけないのか。言語が生物に繁殖力を与えたのだとする言語生物学の知見では、身体は言葉のヴィークルにすぎないばかりか、ときに純度を下げる障害物に堕す。言葉の軽視に抗うには、言葉を世界の裏の支配者に据え直せばいいのではない。表裏の分裂を引き受けること、その間こそが彼の棲処なのだから。とはいえ、樋口作の出来がそう悪いとも思わない。知的好奇心をくすぐる秀作ではある。

一作に手間取りすぎたので足早にチェックすべき小説を。最果タヒが「猫はちゃんと透き通る」(文藝)と「あなた紀」(文學界)という二作を掲載。饒舌な会話のなかに時折入る容赦ないツッコミに笑ったが、結婚がどうのという話題や妹と兄の登場人物の配置が共通していて、連続して読むと飽きてしまった。お前ら無限に喋ってろよ、といいますか。連続で読まない方がいい。岡本学「アウア・エイジ(Our Age)」(群像)は、これほどまでの通俗小説が文芸誌に載るのか、という点で驚いた。お仕事小説的なジャンル性、謎解きミステリー、二七八頁の末尾を読むと全部読まなくて良かったのではないか疑惑等々がここでいう通俗の所以だが、悪口で使っているわけでもない。純文学の使命が迷走している今日ならば通俗上等の態度も当然ありえよう。原発事故の除染作業にいそしむ外国人労働者を描いた天童荒太「いまから帰ります」(新潮)も通俗的で、しかも櫻井作を連想さすヘイターとの衝突もあるが、全体的に漫画的すぎて読むのが辛かった。会話文の長音符をとりあえず削って下さい。

佐藤究「ツォンパントリ」(文藝)に一言も触れていないが、それは単に評者の準備が整っていないからという理由にすぎない。長い時間をかけて読み解きたいと思える作品に出会えるのは幸福なことだ。(あらき・ゆうた=在野研究者)
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