吉行淳之介✕石原慎太郎 書評 『おやじ 俺にも一言』(J・F・ブルボン著/二宮敬訳) 「週刊読書人」1958(昭和33)年5月19日号|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年2月9日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第225号)

吉行淳之介✕石原慎太郎 書評
『おやじ 俺にも一言』(J・F・ブルボン著/二宮敬訳)
「週刊読書人」1958(昭和33)年5月19日号

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青くさいダダ的な主張(吉行淳之介)

おやじたちはばかな戦争をやって祖国を廃墟にしてしまった、それにもこりずにまたアルジェリアで戦争をおっぱじめ、自分たちは明日にも兵隊にかり出されかかっている。おやじの権威なぞ主張できる立場ではないのに、まだ、おれたち若いものの生き方に、文句をつけたがる。余計な口出しはやめてくれ、というのがブルボン君の主張の根底にあるのだ。
ブルボン君のいわゆるダダ的な主張は、どうも歯切れが悪い。おやじたちがああだったから、おれたちがこうなった、という言い方をいちいちする。あまりにおやじたちの次元にこだわりすぎるので、彼の主張の内容はおやじたちの次元の裏返し程度にとどまることになる。ところで、ブルボン君のおやじというのは、パリの小金持ちで、きわめて世俗的な人物らしい。従ってブルボン君の歯切れの悪さの中には、女と同棲しているのらくら学生が国元の親をだまして小遣いをせびり取ろうとする手紙に似たところが出てくる。ブルボン君は、明日の生活や生命が保障されていない自分達は目先の快楽を大切にすると主張する。ところで、その快楽の内容というのは自分達の赤ん坊の為の具合の良い乳母車、電気掃除機、レコードプレイヤー、毎週一回の映画見物、テレヴィジョン、郊外散歩用の自動車、ということである。若い世代が、こういう目先のちっぽけな幸福にひかれることを主張する彼の口振りは意外に生真面目で、どうせ買うなら新しい自動車を両親からの借金や月賦で買った方が良いと熱心に述べるあたり興ざめである。(よしゆき・じゅんのすけ=作家)

感じられぬ若さの意志(石原慎太郎)

私にはこの本が大層よくわかる。この言い分が実によくわかるのだ。がしかし、これでは困る。というのが私の偽らざる感慨である。それだから私は、「求道派」などといわれるのかも知れない。
ともかく、私を含めて我々の世代は今さらもうこんな言い分をこと新しく聞かされる必要はないのだ。これは銘打ってある如く「大公開状」などでは決してなく、違った形で我々がとうに聞きなれ見なれたお古い我々の現状報告でしかない。
サガンの小説やこの著書を読んでいて感じることは、彼らが世代のおかれた混乱を感覚的に是認し、衣裳のように着込んでしまっていると言うことだ。たとい表面的なものではあろうと、彼らは陽気で饒舌すぎる。
我々は周囲の混乱した現実を決して見落としてはならないのだ。絶えずそこから脱け出そうと勉めなくてはならない筈である。世代の真のエネルギーはそうした胎動の内に感じられなくてはならない。その脱出の方向がいずれか、それは私も未だ知るところではない。が、そうした操作ひとつの働きかけがなくては、我々の世代はこの混乱の内に埋没してついえるだろう。
この作品には若い世代の一人としてそうした意志があまり感じられないのだ。同じ世代の労作『アウトサイダー』と比べてこの作品の印象が薄っぺらいのは、振りかざされた知識などの相違ではなくて同じ世代の一歩将来を見つめようとする態度の欠除によるものに違いない。(いしはら・しんたろう=作家)

J・F・ブルボン著/二宮敬訳『おやじ 俺にも一言』(B6判・一七四頁・二三〇円・紀伊國屋書店刊)

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