中平卓馬をめぐる 50年目の日記(43)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2020年2月17日 / 新聞掲載日:2020年2月14日(第3327号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(43)

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創刊号をつくることに夢中だった仲間たちはしばらくは骨休めができると思っていた。しかし出来た批評誌を学内はともかく世間にどう出回らせるかについてまったく考えていなかったので右往左往だ。編集局の部屋に積み上げられた創刊号の山に、自分たちの素人ぶりを思い知らされることになった。

中平さんは神保町の小さな取次店を教えてくれたが、こういうのは直接書店に交渉した方がいいとさとされて、私たちは手分けして本屋巡りをした。しかし置いてくれることになったのは新宿の紀伊國屋書店と銀座のイエナの一階にある近藤書店だけだった。近藤書店は創刊号にエッセイを書いてくれた高梨豊さんが、高校時代の同級生がそこの跡取りで店主だからと紹介してくれたのである。何冊かを預けて数日後店の前を通ると、「初の写真批評誌が出ました」という張り紙を入り口脇の硝子窓に貼ってくれていた。

紀伊國屋は渋々だったが置いてくれた。けれど一日おきに「至急五冊納品してください」というファックスが入って、急いで持って行くと「分からないものですねえ。毎日何冊かずつが無くなって行く」と笑っていた。

美術大学にも狙いを定めて行ってみたが、武蔵美も多摩美も売店は手狭でそれに「うちは写真をやってないので」とけんもほろろだった。東京造形大学の売店だけが先生を紹介してくれて、研究室を訪ねると助手の若いT先生が十冊まとめて買ってくれた。自分の財布からその場で定価分を払ってくれた。

営業というのもおこがましい素人の無手勝流であちこちを歩きながら、一方で「季刊」を目指して始めたのだから休む間もなく次号の準備に入らなければならないと思った。フライング気味に多木さん、吉増さんや長田さん、荒瀬さんに面会する約束がとれてスタートしていたが、それを具体化する状況は刻々と悪くなっていた。資金繰りの見通しが立たなくなっていたのだ。頼りの学生会リーダーである友人に相談したが、差配できる余地はもうほとんどなくなっていた。それでも彼はできるだけの費用捻出を図って大学の窓口と折衝して編集局の口座に振り込みの手を尽くしてくれた。

だがそれでは足りないことは目に見えていた。不足分をどうまかなうかに頭を悩ませつつ、何とかなるさと思い直して私は執筆をお願いする方々への依頼行を始めた。

吉増さんは創刊号の寺山修司さんの所に目をやって、「じゃあぼくは横須賀功光を書きます」とすぐに決まった。

長田弘さんは指定の晶文社で会うなり「東松照明でどうでしょう?」と提案してきた。もちろんそれでよかった。

二人によって次号の軸が決められた感じになって、じゃあもう一人は高梨豊論にして、これで一号の海外写真家に続く日本の写真家をめぐる特集にしようと思った。高梨論は私の友人のOに頼むことにした。Oは美学美術史専攻で大学院にいた。それとなしに話をしているうちに写真の特性について何かを思ったらしく「出来るかどうか分からないけど考えてみようかな」と呟いたので強引に押しつけた。

彼は写真家の映像に自分の原点を秘めているかどうかを問うことに意味があるかは分からないが、「高梨の写真を見ると、そういうものは見せないのだ、持たないのだと心に決めているように思える。写真はなぜそういう思想をもたらすのか。そこにシンパシーも感じるんだけどね」と言うのだった。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)

   (次号へつづく)
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