連載  『ハウス・ジャック・ビルト』の枝葉話   ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 141|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
更新日:2020年2月17日 / 新聞掲載日:2020年2月14日(第3327号)

連載  『ハウス・ジャック・ビルト』の枝葉話   ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 141

このエントリーをはてなブックマークに追加
1990年頃
HK 
 シネマテークでは、ピカソとフェリーニをテーマにして企画展(二〇一九年四月~七月)が行われています。ピカソの絵画と比較してみると、フェリーニと微かに共通点がある気がしています。女性像、夢、道化師などについてです。
JD 
 ピカソもフェリーニのようなところがあるかもしれません。ピカソは、適当に意味ありげなスケッチを仕上げて、最後に〝ピカソ〟とサインすれば、それなりの値段がついたのです。
HK 
 (笑)。ドゥーシェさんは、フェリーニの映画の中で『そして船は行く』だけを、ものすごく気に入ってますよね。
JD 
 他の作品も好きですが、私が最も評価しているのはその作品です。他の作品ほど、「フェリーニ風」ではなく、映画として面白い物だと思います。
HK 
 その作品には、マストロヤンニやエクバーグのようなスターは出てきません。
JD 
 そのために、フェリーニは自分の映画そのものを考えなければいけなかったのです。無声映画から始まり、音がつくなどなどです。

ところで、先般の私のラース・フォン・トリアーについての講演はいかがでしたか。上映した作品は気に入りましたか。
HK 
 『ハウス・ジャック・ビルト』を初めて見た際には、あまりの情報量の多さに圧倒されました。その後の講演でしっかりと話の流れが、やっと理解できました。
JD 
 それはよかった(笑)。
HK 
 実を言うと、僕が気になったのは、ドゥーシェさんは語っていなかった箇所がほとんどです。ドゥーシェさんは芸術と人間についての叙事詩のように捉えていましたが、僕は淡々としたユーモアのように見ていました。
JD 
 確かに、トリアーにはある程度のユーモアが備わっています。
HK 
 特に僕が気に入ったのは、人間と芸術の話が、ふとソーテルヌ(貴腐ワイン)やアイスワインの製法に変わるところです。要するに、印象に残ったところの大半が、女性たちを殺すシークエンスではなく、その間の言い訳です。少しだけ、ロッセリーニやロメールの教育映画を思い出しました(笑)。
JD 
 少しだけですね。トリアーとロメールは同じものではありません。ロメールは、テレビの仕事を通じて、芸術を再現したがっていました。中世の吟遊詩人による詩やタピセリーなどの芸術作品に、人々が正面から向き合うことを期待していたのです。
HK 
 ロッセリーニはロメールとは異なりますよね。
JD 
 ロッセリーニは、教育映画と自分では言っていましたが、私は、彼が教育をしていたとは思いません。彼の行なっていたのは、映画の最も重要な役割にかかわることです。つまり、ある対象を撮影して再現すること。しかしながら、ルイ一四世の時代には映画はありませんでした。なので、ロッセリーニはその時代を想像することで――他の誰もが気にも留めなかった詳細まで――、フィクションとして再現したのです。今日に至るまで、アルベルト・セラなどが続けていることです。
HK 
 いずれにせよトリアーにおいては教育映画というよりも、映画全体の方向を決定づけているようでした。途中にノートルダム寺院やグレン・グールドのバッハなども出てきました。ドライヤーが仕事のなかった時に、ノートルダム寺院の建築法についての短編を作ったのはご存知ですか。そこからの引用だったように思えます。
JD 
 当然知っています。北欧の映画監督であればドライヤーのことを無視することはできないはずです。
HK 
 他にもボブ・ディランのPVのパロディやデヴィッド・ボウイの音楽などもありました。その芸術による理想的世界のために、ありとあらゆる現実から逃避しようとしているように思えます。
JD 
 そのように言うこともできます。一つ目の挿話において連続殺人の始まりが語られ、二つ目の挿話では即興に至る。三つ目では家族を殺し、四つ目では女性を支配し殺害する、そして最後の挿話においては全ての人間を殺さなければいけない。しかしながら、その直後には警察が現れジャックは地獄へと向かう。
HK 
 その時に一応、理想とはかけ離れて、連続殺人の被害者たちの身体を柱にして家を作りました。
JD 
 その家は人類の歴史の表れです。ジャックが建てた家は、彼が望んだほどには美しくなかった。
HK 
 丁度その辺りのシーンなのですが、洞窟の中をウェルギリウスと歩くシーンがありました。おそらく撮影をGo Proという小型カメラで行なっていたと思います。従来のカメラとの違いは、かなり雑な使い方ができるところで、一種の撮影の新しい可能性が感じ取れます。〈次号へ〉
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテーク・ブルゴーニュ)
このエントリーをはてなブックマークに追加
ジャン・ドゥーシェ 氏の関連記事
久保 宏樹 氏の関連記事
ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」のその他の記事
ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」をもっと見る >
芸術・娯楽 > 映画 > 映画論関連記事
映画論の関連記事をもっと見る >