コミュニケーション資本主義と〈コモン〉の探求 ポスト・ヒューマン時代のメディア論 書評|伊藤 守(東京大学出版会 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

  1. 読書人トップ
  2. 書評
  3. 読書人紙面掲載 書評
  4. 学問・人文
  5. 社会学
  6. コミュニケーション資本主義と〈コモン〉の探求 ポスト・ヒューマン時代のメディア論の書評
読書人紙面掲載 書評
更新日:2020年2月15日 / 新聞掲載日:2020年2月14日(第3327号)

コミュニケーション資本主義と〈コモン〉の探求 ポスト・ヒューマン時代のメディア論 書評
デジタルネットワークの「鳥の歌」
現代のポピュリズムとメディアを読み解くために

コミュニケーション資本主義と〈コモン〉の探求 ポスト・ヒューマン時代のメディア論
著 者:伊藤 守
出版社:東京大学出版会
このエントリーをはてなブックマークに追加
 かつてチェロ奏者カザルスは、ケネディ大統領を前に「カタロニアの鳥たちは平和(peace)と鳴くのです」と述べ、故郷の民謡「鳥の歌」を演奏した。それは当時のフランコ政権によるカタロニア語の使用禁止措置への、「言葉なき歌」による抵抗であった。個々の生理的欲求や情動の現れである「鳴き声」とは異なり、「歌」は共感と情動的調和にもとづく象徴的次元の、つまり〈共〉の表現である。言葉がなくても、鳥は神と世界の調和を讃えるために、ともに歌うのだ。

半世紀後の21世紀初め、人々は登場したばかりのTwitterに、小鳥のさえずり(ツイート)から新たな民主主義が生まれることを期待した。しかしすぐに裏切られ、それは獣たちのウォーウオー(war)という鳴き声が響く、ポピュリズムの巨大増幅機へと変貌した。それは本書によれば「象徴性の喪失」を引き起こす「情動のネットワーク」なのだ。SNSの断片的な言葉から引き起こされた情動は、反復により共鳴・拡散し、現実世界の経済や政治に大きな影響を与えるようになった。こうして従来のマスメディア広告ではなく、SNSの個人的コミュニケーションにより駆動される、新たな「コミュニケーション資本主義」が姿を現した。

こうした情動の広がりは、戦前の人類学者が提唱した「融即の原理」や社会学者が提唱した「模倣の法則」に重なる。そこに共通しているのは「述語論理」、すなわち「彼は死ぬ、私は死ぬ、ゆえに私は彼である」という、述語が同じであれば主語も同じとみなす機制である。実際、SNSはよくも悪くもこの論理で満たされている(たとえば「○○さんは私だ」)。このように文脈や主語から切り離された述語がもたらす情動は、反復もしくは音響的論理により個人の主観性を飲み込み、不安や怒りをネット全体に共鳴させる。その結果、近代の合理的人間像にもとづいた民主主義社会のメディア装置は、情動的人間像にもとづく新たな統治と収奪の装置へと変貌しつつある。

本書は、こうした状況の理解と克服の道を探るための、国内精鋭の文化・メディア研究者たちの挑戦である。本書全体の主題をパラフレーズすればこうなるだろう。ネット企業の巨大プラットフォームのもとで、はたして私たちの主観性が資本主義的収奪に適した「個的なもの」へと切り詰められ、憎悪と不安の情動に飲み込まれない道はあるのか? 瓦解した公共性や切り詰められた「生」を取り戻す可能性はあるのか? かつて情動の哲学を展開したスピノザによれば、そこで合理的な説得は意味をもたない。なぜなら認識は喜びと悲しみという二つの情動にもとづく以上、より高次の喜びの情動によるしか変わらないからだ。しかし、そうであればこそSNSの与える資本主義的快楽を超えた高次の喜びの情動がもたらされるとき、獣たちの唸り声から「鳥の歌」——本書によれば、異なる声の「コーラス」がもたらす〈共〉——が響き渡るはずである。国内外の最新理論にもとづく現代のメディアとポピュリズムを読み解く試みとして、本書の一読をぜひお勧めする。
この記事の中でご紹介した本
コミュニケーション資本主義と〈コモン〉の探求  ポスト・ヒューマン時代のメディア論/東京大学出版会
コミュニケーション資本主義と〈コモン〉の探求 ポスト・ヒューマン時代のメディア論
著 者:伊藤 守
出版社:東京大学出版会
以下のオンライン書店でご購入できます
「コミュニケーション資本主義と〈コモン〉の探求 ポスト・ヒューマン時代のメディア論」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
伊藤 守 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
学問・人文 > 社会学関連記事
社会学の関連記事をもっと見る >