『陶器全集 第6巻 長次郎・光悦』(平凡社) 茶碗とのつき合い 評者:青山二郎 「週刊読書人」1958(昭和33)年5月19日号|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年2月9日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第225号)

『陶器全集 第6巻 長次郎・光悦』(平凡社)
茶碗とのつき合い
評者:青山二郎 「週刊読書人」1958(昭和33)年5月19日号

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最初の原色版八枚が大変いい。楽茶碗に比べて獅子棟瓦は面白くも何ともない。恁ういう点が陶工として変ちくりんだ。

昔の文士の写真とかその女房の写真でも見ている様なもので、茶碗の写真を見て感心するのは、これも何か変ちくりんな事である。つき合いというものはそんなものではない。茶碗は、茶碗とのつき合いである。ことに楽茶碗に限って外に取扱いようがない、ぎりぎりの物だ。

だから溺れる人間は溺れるし、頭から軽蔑する人間は見向きもしない。その癖五千円の茶碗も五百万円の茶碗も区別が付かないのである。金があったら買う気になれる人間の眼にしか、茶碗の写真だって何も訴えやしないのが人間と美との関係である。(あおやま・じろう=美術評論家)

『陶器全集 第6巻 長次郎・光悦』(B5変型・原色八頁・グラビア六四頁・本文二〇頁・五八〇円・平凡社)

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