川端康成『富士の初雪』(新潮社) 失なわれぬ独創性 評者:エドワード・サイデンステッカー 「週刊読書人」1958(昭和33)年5月26日号|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年2月16日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第226号)

川端康成『富士の初雪』(新潮社)
失なわれぬ独創性
評者:エドワード・サイデンステッカー 「週刊読書人」1958(昭和33)年5月26日号

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五年前に出た短編小説集『再婚者』のあとがきで川端康成氏は自分の小説手法を変えるべき時期が来たと思う、と書いていた。川端氏のようなオリジナルな作家のこの言葉に触れた読者は、氏が他の作家を模倣しようとして己の独創性を犠牲にするのではないかと考えたであろう。しかし、最近作ををおさめたこの短篇集を読むと、氏が昔のままであることがわかって楽しくなる。読者を常に楽しませてきた、氏の作品に潜んでいるすべてのものは、依然としてそこに在って私たちを魅了する。

死んだ者、死に逝く者、生に疲れた人間、独りぼっちの人達を題材とする作家が、このように読者を魅了することが出来ることは、不思議なことである。というのは川端氏は今挙げたことを題材とする作家であるし、昔もまた、ずっとそうであったからだ。たとえば“やつれる”といった類いの言葉が、音楽作品における主題のようにしてこの新刊短篇集の全作品を通じて随所に現われてくる。しかし、これらの言葉は、ある異様な感性の力によって一つの確かなものに変えられてしまうのがやがてわかって来る。その力とは思いもかけぬところへ突然現われるイメージであり、女性のうなじとか、耳たぶの辺りに揺曳する仄かな美しさであり、さらに、恐らく、これが最も大きなものかも知れないが、作中人物がお互いの間に流れる空気を読みとることに示す驚くべき鋭敏さである。本書の「あの国この国」や「富士の初雪」に特に目立っているこの最後の点は、これも極めてオリジナルなある作家をを思い出させる。つまり、川端氏が決して影響を受けたはずのない作家、ヘンリー・ジェイムズである。

もしこれらの作品の中に弱点があるとすれば、結末が一種のあいまいさのうちに運び込まれていることであろう。しかし、これ程たくさんの面白さに満ち溢れた書物に向っては、読者は決してそんなことを気にとめないであろう。(原文は英語)(Edward G.Seidensticker=在日アメリカ人・日本文学研究家)

川端康成『富士の初雪』(B6判・二六七頁・三一〇円・新潮社)

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