磯野真穂*古田徹也「生きることの不安を問い直す」トークイベント載録(代官山 蔦屋書店) ほんとうの言葉/それぞれの踏み跡 『急に具合が悪くなる』/『ダイエット幻想』/『出逢いのあわい』|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年2月21日 / 新聞掲載日:2020年2月21日(第3328号)

磯野真穂*古田徹也「生きることの不安を問い直す」トークイベント載録(代官山 蔦屋書店)
ほんとうの言葉/それぞれの踏み跡
『急に具合が悪くなる』/『ダイエット幻想』/『出逢いのあわい』

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 一月三〇日、代官山 蔦屋書店で人類学者の磯野真穂氏と哲学者の古田徹也氏によるトークイベント「生きることの不安を問い直す」が開催された。昨秋刊行された『急に具合が悪くなる』(宮野真生子、磯野真穂著/晶文社)、『ダイエット幻想 やせること、愛されること』(磯野真穂著/ちくまプリマー新書)、『出逢いのあわい 九鬼周造における存在論理学と邂逅の倫理』(宮野真生子著/堀之内出版)の三冊を題材に、著者の磯野真穂氏と、昨年七月に急逝された宮野真生子氏のご友人で、『言葉の魂の哲学』でサントリー学芸賞を受賞した古田徹也氏が、「不安」をめぐって、立ち止まり手探りしながら、「ほんとうの言葉」を交わした。また、本イベントは『出逢いのあわい』『急に具合が悪くなる』の著者・宮野真生子氏と交流のあった代官山 蔦屋書店の担当者・宮台由美子氏が思いを受け継ぎ、名古屋まで磯野氏に会いに行き、実現させたもの。「偶然」に「出逢い」、それぞれの「ライン」を交差させ紡がれた一夜の「物語」を取材した。           (編集部)
第1回
『出逢いのあわい』に導かれ

磯野 真穂氏

磯野 
 「代官山 蔦屋書店でイベントを」というお話をいただき、どなたと対談したいですかといわれたため、ぜひ古田徹也さんにお願いしたいと思いました。昨年五月の終わりに、宮野真生子さんから古田さんの『不道徳的倫理学講義』(ちくま新書)を薦められていて、でもすぐには読めず、この三冊の本の出版が落ち着いてから手に取りました。

ところで古田さんは、とても緊張していると本日のことをSNSで何度か書かれていましたが、なぜそんなに緊張されているのでしょうか?
古田 
 いつも緊張はするのですが、宮野真生子さんのために何かしたいという、その意識がどんどん過剰になってきているという感じがします。
磯野 
 今日は最初に三冊の本についてご紹介させていただいて、その後なぜ「不安」をテーマにしたのかという説明から対談に入っていきたいと思います。最初に、『出逢いのあわい』がどんな本かについて、同じ専門である古田さんからお話しいただいてもいいですか?
古田 
 この本は宮野真生子さんの博士論文の書籍化で、研究者としての宮野さんの入魂の作品です。内容的にもずっしりしているし、読み通すのはなかなかヘビーです。簡単に説明すると、宮野さんはずっと九鬼周造を追ってきたわけですが、九鬼を扱うのは非常に難しい。もしかしたらとりわけ難しいといえるかもしれません。どういう難しさかというと、一つには九鬼は「偶然性」というものを主題として自分の哲学の中心に置いているわけですが、偶然性という考え自体、取り扱うのが難しい。それが一つ、難しさの中心です。

それ以外にも、九鬼やあるいは和辻哲郎などが当時ヨーロッパに留学して直に見聞きしたことへの理解があります。当時のヨーロッパはハイデガーが『存在と時間』をまさに世に出そうとしていた頃で、哲学の世界の方向性を決めるような議論が沸き起こりつつあった時代でした。その時代を生きた九鬼は、かなりの正確さと深さでそれを吸収していたわけです。そういうことを考えると、九鬼を扱うためには彼がヨーロッパで何を学び、何に反発し、その上でどういうものを自分の思想として形成していこうとしたのかをなぞらなくてはいけない。同時に、九鬼とその周辺、日本文化といったものもたくさん学ばないといけない。踏まえなければいけないことがかなり広く深いわけです。それを宮野さんはまさに成し遂げて、丹念に追っています。九鬼がどのように彼自身の哲学を構築したのか、九鬼に興味がある人にとっては今後必読本になると思います。
また、今回の『急に具合が悪くなる』に関連して言えることは、彼女がこの本で展開している議論の多くの部分は、『出逢いのあわい』で彼女が額に汗して苦心して築き上げたものが基礎になっているということです。そういう意味ではちょっと悪い言い方になりますが、『急に具合が悪くなる』では結論だけパンと出されていることが結構あるわけです。辿り着いた思考の結果をここで出している。なぜそんなことが言えるのか背景を知りたいと思ったら『出逢いのあわい』が必要です。さらに、それだけでなくもう一つ言えるのは、『出逢いのあわい』で宮野さん自身が書いたことに対するある種批判的な話も『急に具合が悪くなる』にはある。これは、宮野さんが『出逢いのあわい』を書き終えた後、その書き終えた本をベースにして、それをまた乗り越えようとしているからだと思います。自分自身が作ったものをもう一度乗り越えようとして批判的な検討を加え、さらに新しい思考を展開している。この凄みを味わうためにも、『出逢いのあわい』は大事だと思うんです。
磯野 
 どういうところが批判的に展開されているのでしょうか?
古田 
 最もはっきり出ているなと思うところの一つは、「選ぶ」という行為に関するところです。まず、偶然を偶然として捉えるためには、ある種知性的でなければいけないということを宮野さんはずっと強調していて、合理的に物事を計ろう、予測しようと努力している人だけがある意味では偶然性を経験することができると言っている。思っていなかったことが起きてそれに驚くというのは、ほかの可能性をたくさん考えていたからで、その点も含めてある種、自ら未来を計っていこうというその努力によって社会が形作られてきたということも彼女は否定しない。

彼女のそうした両義的な思考はそれはそれで非常に面白いですが、ただ、その中で彼女が、選択する、選ぶということをとらえ直そうとしている箇所が、『急に具合が悪くなる』にはあります。その前提として、まず『出逢いのあわい』の中に、「仮小屋の比喩」というのが出てきます。われわれはどうしてもその都度偶然性に晒されるのだけれども、そこから出発して物事を計って仮小屋を建てていくしかない。その仮小屋で何をしていくべきかという選択について彼女が論じているのですが、『急に具合が悪くなる』では、その選ぶというのは何なのかということをもう一度問い直しているわけです。

『急に具合が悪くなる』は、どちらかというと僕も含めて後半の方に心を重ねた方が多いと思うのですが、実は前半もすごく面白い。僕が気になっていたのは「2便 何がいまを照らすのか」に出てくる話でした。たとえば「選ぶの大変、決めるの疲れる」(四九頁)と語られている箇所は、たくさんの選択肢があってそれに対して心を分割していって「決める」というのは正直しんどいという話です。

選択する、選び続ける、最適解を見つけてどっちの治療法がいいとか、そういうのに疲れ果てて、宮野さんはなんとなく京都に帰った。選んだとか決めたとかいう感覚はなく、「ただもう勝手に動いてしまって」、そうやって引き寄せられるように京都に帰って、そこである病院に出会ってケアの方向性が形作られていった。「それは、複数の選択肢を比べて合理的に決定したのではなく、たまたまの「出会い」をもとに「ここにしよう」という気持ちが自然に湧いてきた結果」で、「私が選び、決めたという能動的な行為というよりも、その病院の先生や看護師さんの雰囲気が身体になじみ、腑に落ちて、「じゃあお願いします」という言葉がほとんど考えなしに出てきました」(五〇頁)と言っている。

これは選ぶということの不思議さというか、複数の選択肢を比べて合理的に比較検討してというよりも、むしろ、なじむような感触ですね。「選ぶ」という言葉はまさにザ・能動性という感じがするのだけれども、実際には明らかに受動的な側面を併せ持っている。『出逢いのあわい』の中でそれがはっきり出ているのは、出逢ったあとそれを掴みとっていく過程で能動性というものをどう捉えればいいのかということで、それが『急に具合が悪くなる』の中では、より掘り下げた思考の形としてよく表れているなと思った次第です。
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