雲 書評|エリック・マコーマック(東京創元社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2020年2月22日 / 新聞掲載日:2020年2月21日(第3328号)

雲 書評
不安定で謎に満ちた世界
自叙伝的に語られるハリーの数奇な半生を軸に


著 者:エリック・マコーマック
出版社:東京創元社
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 一九世紀半ば、スコットランドの小さな炭鉱町ダンケアンに、黒曜石を思わせる黒雲が垂れ込める。その雲は鏡のように地上を映し出し、鐘楼の鐘と同時に吹いた風により、空に溶けていった――ハリーは出張先のメキシコの古書店で、この不思議な天気事象の記録書『黒曜石雲』に出会う。ハリーが驚いたのは、扉ページに書かれていたダンケアンという言葉だ。これはかつて、人生を変えるほどの辛い記憶を自分に植え付けた町の名だったからである。

『雲』は、この古書の由来の謎と共に、自叙伝的に語られるハリーの半生を軸に進む。スコットランドで辛い経験をしたハリーは、その後アフリカ、南米を経て、カナダに移住する。結婚して息子も誕生し、過去の傷も癒えてきた。そんなある日、かつての友人を通してダンケアンの衰退を聞かされたハリーは、数十年ぶりにこの町を再訪し、『黒曜石雲』と自身の過去についての意外な事実を知ることになる。

スラムで生まれ育った幼少期から、異国を旅して成功者としてカナダへ渡った後も、ハリーには常に数奇なエピソードが待ち受ける。物語に不穏な空気を漂わせる一因は、彼の理解の範疇を越えた、ぞっとする一面を持ち合わせた人々だ。ハリーの配偶者や友人など、身近な人々も例外ではない。だが一方で、それらの面は美徳と表裏一体で、流動的であることも示唆される。正直さという美徳は、通りのいい嘘を思いつかない想像力の欠如という見方ができ、友人は人類の発展のためだと信じて、ロボトミー手術を繰り返す。ハリーは紅葉しかけた葉を綺麗だと言うが、この現象を科学的に見れば、日光の不足に他ならない。「これを美しいというのは、窒息させられかけている人間は美しい色に変わると言うようなものです」とハリーの同僚技師であるジョンソンも言う。町を逆さに映し出す黒曜石雲のように、著者は一人の人間、一つの事象についても表と裏があるのだと、さまざまな手法で読者に提示する。こうした見方の違いは物語の最終部にも見られ、失望は希望になることもあるのだと教えてくれる。

エピソードの数々がテンポよく展開され、読者はページをめくる手を止めることができない。だがそのすべてが最後に絡まり合って意味をなすというわけではない。ハリーが夢の意味を読み解いて安心を得ようとするのと同じく、私たちはものごとに理由をつけたがる。謎はいつか解明されるものだと思い、その日が来るのを期待する。しかし、著者はこうした姿勢をやんわりと否定するかのように、最後まで不安定で謎に満ちた世界を描き切る。至る箇所にひっかかりを盛り込みながら、それらの因果関係は置き去りにしたまま、物語を先へ進めるのだ。この小説スタイルは、極小の粒子でできた雲を掴むことができないように、そもそも世界を把握することなどできないと示唆しているようでもある。世界も個々の事象の集まりであり、私たちは見えるつながりの中で動いているに過ぎないからだ。「(謎は)いずれきっと誰かが読み解くだろうね」とハリーは言う。「そうならないでほしいね(中略)どうしても解けない謎には、何かとても心に訴えるものがあると思うんだ」。

本書の著者エリック・マコーマックは一九四〇年、スコットランドのグラスゴー生まれ。一九六六年にカナダの大学に進学して博士号を取得し、七〇年代から創作活動を開始した。ケルト系の伝説を生かした作風が織りなす、幻想に包まれたスコットランド。その空に浮かび上がる雲のなかに、謎を解く鍵が隠されているのかもしれない。(柴田元幸訳)(わたなべ・まり=翻訳者・ライター)
この記事の中でご紹介した本
雲/東京創元社
著 者:エリック・マコーマック
出版社:東京創元社
「雲」は以下からご購入できます
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