時間とヴァーチャリティ ポール・ヴィリリオと現代のテクノロジー・身体・環境 書評|本間 邦雄(書肆心水)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2020年2月29日 / 新聞掲載日:2020年2月28日(第3329号)

時間とヴァーチャリティ ポール・ヴィリリオと現代のテクノロジー・身体・環境 書評
テクノ=サイエンス社会の速度環境の飽和状態をいかに生きるべきか

時間とヴァーチャリティ ポール・ヴィリリオと現代のテクノロジー・身体・環境
著 者:本間 邦雄
出版社:書肆心水
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 今となっては旧聞に属する話だが、ポール・ヴィリリオが企画して二〇〇二年に開かれた「事故の博物館(原題はCe qui arrive)」は、本当に衝撃的なものだった。会場は、パリのカルティエ財団現代美術館。そこに何と、クラッシュしたレーシングカーから、大爆発を起こしたチャレンジャー号やチェルノブイリ原発に至るまで、大事故の遺物や映像・画像が所狭しと陳列され、おしゃれな美術館の外観との間で、不調和の調和を現出していたのである。

ここでヴィリリオが言わんとしていたのは、「実体の発明はその偶有性=事故の発明でもある」ということ。つまり、「エアバスは八〇〇席の旅客機を発明することによって、潜在的には八〇〇人の死者をつくり出しているということ」だった。そう、新幹線の発明は新幹線の大脱線事故の発明でもあり、原子力発電所の発明はそのメルトダウンの発明でもあって、それは不幸にも、やがてわが福島で実証されてしまったのだ。

ヴィリリオはこのようにして、思いもかけぬ側面から、現代社会やテクノロジーの負の側面を暴き出す。そんな彼の存在に早くから目をつけていた本間氏は、すでに一九九八年には『電脳社会』の邦訳を世に送り出していた。けだし炯眼と言うべきか。おかげでその後、日本語で読めるようになったヴィリリオの著作は十指を越えるが、ふと気づいてみると、今度は彼の全体像をとらえるための指導書がない。そこにまたもや救世主のように登場してきたのが、まさしく本間氏のこの著作であるというわけだ。

本書は、単なるヴィリリオの紹介書でもなければ、その研究書でもない。現代社会に対する本間氏の視線がまずあって、それが淡々と語られていくプロセスが、ヴィリリオとの対話とも言うべき形をとって展開するのである。

そればかりではない。この対話には、必要に応じてフーコー、デリダ、ドゥルーズ、リオタール、スティグレール、さらには森本和夫までが加わり、一九八〇年代のパリ第八大学の熱気が、さながらに木霊してくるかのようである。

主題は一貫して、このテクノ=サイエンス社会の速度環境の過飽和状態をいかに生きるべきかということであり、それを探るためには、この社会がどれほど私たちの生活を平板化し、単一方向に走らせ、ついには「脳の限界」において突発的・偶発的事故を惹き起こしてしまうのか、その仕組みを見据えなければならないということでもあるだろう。

ここでは「走行学」「走行圏」「走行体制」「速度機械」などの耳慣れぬ表現も使われ、フーコーの言う「大監禁」から解放されるには、「生物多様性」にも似た「時間‐多様性」が必要であると説かれるのだが、決して難しく考える必要はない。

まずはスマホの電源を切り、本書を読めばいいのである。
この記事の中でご紹介した本
時間とヴァーチャリティ ポール・ヴィリリオと現代のテクノロジー・身体・環境/書肆心水
時間とヴァーチャリティ ポール・ヴィリリオと現代のテクノロジー・身体・環境
著 者:本間 邦雄
出版社:書肆心水
「時間とヴァーチャリティ ポール・ヴィリリオと現代のテクノロジー・身体・環境」は以下からご購入できます
「時間とヴァーチャリティ ポール・ヴィリリオと現代のテクノロジー・身体・環境」出版社のホームページはこちら
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