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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2020年3月2日 / 新聞掲載日:2020年2月28日(第3329号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(45)

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アリの雄叫びに刺激を受けて思い浮かんだという「プロヴォーク」をいいタイトルだと思った。手垢もついていない、文字面もいい。きっかけとなった中平さんが言う「偉大なるキャシアス」の「キャシアス・ザ・グレート」は、ウィリアム・クラインの最初に注目された短編記録映画だ。60年代の写真潮流を席巻したクラインはその後写真活動を中止、映画制作を始めていた。そのフィルムは日本では公開されなかったが中平さんは新しく出来た配給会社「フランス映画社」の知人にその一部を見せてもらっていた。

世紀の一戦と言われたボクシングヘビー級ソニー・リストンとのタイトルマッチを前に、キャシアス・クレイはマイクとカメラに吠えまくる。群衆も「蝶のように舞い、蜂のように刺せ、若いの、やっちまえ」と呼応する。「アリの雄叫びはリストンへの挑発を超えてアメリカ社会の深層を穿つ叫びのようだ」と中平さんは垣間見た映画の濃さに感動していた。そして「写真もアリのような挑発でなければならないと思うよ。だからすっとプロヴォークという言葉が浮かんだ」と言った。
「でもタイミングが難しくなってきたなあ」とプロヴォークの出発計画について中平さんは思案していた。世間は大学闘争の話題に傾いていたし私もその渦中でそれなりに忙しかった。だから「もう少し推移を見るよ」と言う話をしたきりしばらく「プロヴォーク」の話は棚上げになった。

久しぶりに電話がかかってきたのは「忙しいだろうけど面白い物が見られそうだから来ないか」と言うアサヒグラフの仕事に私を誘う連絡だった。

それはコンピュータを撮るという仕事だった。一般社会ではまだコンピュータの全体像が知られていなかったが、「メインフレーム」と言っていた大型コンピュータからスーパーコンピュータの時代になり、そこからさらに進化した最新のオフィスコンピュータを撮るという話だ。60年代初頭のIBM一強の時代に、国が日立を中心にした国産コンピュータ開発プロジェクトを立ち上げていた。その開発渦中のコンピュータを新しい時代の始まりとしてグラフ誌が注目した。「暮らしの中のコンピュータ」としてとらえる視点だ。

編集部に一緒に行き、資料を見せてもらった。資料写真を見るととにかく大きい物体だ。まるで洋箪笥のような風貌だった。中平さんも驚き、「負けないように大型カメラでやろうか?」と言った。私が大型カメラに慣れていると思っていたからだ。中平さんは使ったことがなかった。「そうですね」と私は応えたが、すぐに実習授業で得た程度の生半可な体験しかない自分に気付いて憂鬱になった。

撮影は横浜の戸塚駅線路沿いにある日立製作所戸塚事業所。当日朝、大きなカメラボックスと三脚を足もとに置いた中平さんと駅で落ち合った。ボックスを見て私は「カメラは誰に借りてきたんですか」と聞いた。
「内藤正敏だよ」

「婆バクハツ!」を撮り、やがて民俗学研究の一線にも至った内藤さんだが、その出発は早稲田の理工学部を出て倉敷レイヨンの研究所に勤めた化学者である。研究のかたわら化学反応で生まれる様々な現象を宇宙や生命を主題とする「SF写真」で表し、早川ミステリーの表紙に請われることもあった。つまり大型カメラは彼の常用機材だった。JPSの「写真百年」展編集委員会で一緒だったその内藤さんに事情を話して、撮影機材一式を借り出してきたという。
「必要なものは全部ボックスに入れたと言っていた。カメラはリンホフだって」と中平さんは言った。彼はボックスの中身も確かめていないようだった。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)        (次号へつづく)
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