増野悦興研究 埋もれたキリスト者の生涯と思想 書評|瀧澤 民夫(六花出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

  1. 読書人トップ
  2. 書評
  3. 読書人紙面掲載 書評
  4. 歴史・地理
  5. 日本史
  6. 増野悦興研究 埋もれたキリスト者の生涯と思想の書評
読書人紙面掲載 書評
更新日:2020年3月7日 / 新聞掲載日:2020年3月6日(第3330号)

増野悦興研究 埋もれたキリスト者の生涯と思想 書評
二〇年を費やした本格的研究
その生涯と思想の全体像に肉薄

増野悦興研究 埋もれたキリスト者の生涯と思想
著 者:瀧澤 民夫
出版社:六花出版
このエントリーをはてなブックマークに追加
 増野悦興(ましの・よしおき)は従来、注目されることが少なかった明治期のキリスト教思想家で教育家であった。本書は、著者が二〇年近くを費やしてその生涯と思想の全体像に肉薄しようとした基礎的かつ本格的な研究である。

増野は、一八六五(慶応元)年、津和野藩士の家に生まれた。同志社英学校で学ぶも、卒業直前に退学し、岡山・九州・大阪などで伝道活動に従った。九〇(明治二三)年から三年間、恩師新島襄が学んだアメリカの神学校等に留学した。帰国後は、アメリカで触れた自由主義神学の立場からの伝道活動を行った。九九(明治三二)年、埼玉県第三中学校(川越中学)の校長となった。しかし三年で退職を余儀なくされた。その後は、日本同仁基督教会の牧師をつとめるなどしながら、キリスト教思想と信仰を深める思索を重ね、一九一一(明治四四)年、四六歳で決して長くない生涯を閉じた。

増野は、同志社は退学したものの新島襄からは期待され、伝道活動を行った。しかし正統的なプロテスタントのキリスト教思想に全面的な同化はできなかった。そうした増野は、アメリカ留学時に触れた、信仰の中に個人の理知的判断を加える自由主義神学を手がかりにして、信仰を確立することができた。著者は、増野の信仰の本質を、「心霊的生命」と表現するが、彼の信仰の確立は、近代日本のキリスト教受容にとっての本質的な問題を表す事例である。

しかし評者が、それ以上に興味を感じたのは、川越中学を退職した後の思想である。ここでの増野は、儒教思想にある正義思想、日本固有の敬神の念、仏教の平等思想を綜合したものを「日本魂」として着目する。そして、この日本魂にキリスト教の「万人救済」思想を「注入」することによって、国民道徳や日本国民の信仰の確立を目指そうとした。奇矯とも見える。またキリスト教の立場から言えば、「日本」とキリスト教の関係が逆転しているかもしれない。しかし、キリスト教を日本の社会に根づかせるための思索を経てたどり着いた一つの解答である。

著者は、「増野ほどキリスト教教理と信仰に関してつき詰めて、理性と信仰心の関係を教理研究(組織神学論)から論理づけようとした例は稀有」であると評価する。その場合、増野を貫くのは、キリスト教を、日本の社会に即して内在化するという一事である。彼が理性を重視したのも、その点とかかわると評者には見える。もちろん、前述の「日本魂」を視野に入れての思索は、そのための模索であり、結論であった。

ところで、著者は、増野が植民地化を伴う日本の帝国主義的発展に無批判であったり、女性のあたらしい生き方に無理解であったりするような側面も指摘する。にもかかわらず著者は、増野が「偏狭な国家主義を相対化する視点を持してはいた」とする。この点は、明治の思想全体にとって大きな問題でもあり、今後も深めるべき点である。

本書は、ひとりのキリスト者が、キリスト教を、自らの、そして明治の日本社会にとって内在的なものとし、根づかせるための思想的努力と結実の具体像を、膨大な史料をもとに提示したのであり、キリスト教思想だけでなく、近代日本の思想全体に関心のある人びとにひろく読まれることを期待したい。
この記事の中でご紹介した本
増野悦興研究 埋もれたキリスト者の生涯と思想/六花出版
増野悦興研究 埋もれたキリスト者の生涯と思想
著 者:瀧澤 民夫
出版社:六花出版
「増野悦興研究 埋もれたキリスト者の生涯と思想」は以下からご購入できます
「増野悦興研究 埋もれたキリスト者の生涯と思想」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
歴史・地理 > 日本史関連記事
日本史の関連記事をもっと見る >