対談=中島隆博×納富信留 「世界哲学」、違和感からの再始動 『世界哲学史 全8巻』(筑摩書房)刊行開始‼|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年3月6日 / 新聞掲載日:2020年3月6日(第3330号)

対談=中島隆博×納富信留
「世界哲学」、違和感からの再始動
『世界哲学史 全8巻』(筑摩書房)刊行開始‼

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ちくま新書の新シリーズ『世界哲学史』の刊行が二〇二〇年初より始まった。伊藤邦武、山内志朗、中島隆博、納富信留の四氏による責任編集の全八巻。古代から現代まで、各地で展開した哲学を同時代的に俯瞰する。執筆者は総勢一〇一名を予定。現在二巻まで刊行され、まもなく三巻が店頭に並ぶ。

推薦のことばで鷲田清一氏は「哲学を「西洋哲学史」の枠から解き放つ」といい、出口治明氏は「世界を「丸ごと把握しよう」とする哲学の重要性」の再認識について語っている。

「世界哲学」という「人類の知の営みを新たな視野から再構築する」試みについて、東京大学教授で中国哲学・比較思想史が専門の中島氏と、東京大学教授で西洋古代哲学が専門の納富氏、お二人の編者にお話しを伺った。     (編集部)
第1回
根源的な不安をかき起こす概念

納富 信留氏
納富 
 中島さんとは同学年で、大学の時から知る仲です。私は文学部で、中島さんは法学部でしたが。
中島 
 いっしょにギリシア語の文献を読みましたね。
納富 
 そうそう(笑)。

大学で哲学を勉強しようと思うと基本的には西洋哲学で、我々の時代だとカントにヘーゲルにマルクスですから、ドイツ語が必修でした。加えてギリシア語、ラテン語。しかし哲学科では西洋哲学を学び、日本哲学や東洋思想は倫理学など別の科でしか学べなかったというのは、いまにして思えば不自然ですよね。

西洋近代のフィロソフィーが、明治時代に日本に入ってきて「哲学」と造語されますが、日本の初期の哲学者である、井上哲次郎や井上円了らは、当然のように東洋思想にも精通していました。それが大正時代になって、哲学とは西洋人と同じように、ドイツ語の原文を読んで学ぶものであると定着した。当時の日本で馴染み深いのは仏典やむしろ儒教の思想でしたから、それらとの間で折り合いをつけながら、西洋哲学をなんとか受容しようとしたのが近代日本の哲学史です。そして現在に至るわけですが、その成りゆきには反省すべき点があります。
中島 
 私は高校時代に、西洋哲学も東洋哲学も読みましたが、不思議だったのは中国哲学の本が、どれを読んでも判で押したようなステレオタイプな内容だったことなんです。西洋哲学では繊細な議論がなされていましたが、同じような繊細さが中国哲学にはみられなかった。これはそもそもの中国哲学が浅いものなのか、あるいは日本での解釈の問題なのか、それが疑問でした。高校生では原文を読む読解力がなくて、判別できなかったんですよね。

大学では、政治哲学や政治思想に興味があったので法学部に進み、並行してヨーロッパ哲学も勉強していて、納富さんとギリシア語を読むようなこともあったわけです。その一方で中国哲学への関心はやはり強く、大学院では中国哲学を選びました。そこでようやく中国哲学がステレオタイプなわけではなく、受容と読解の問題が大きかったことがわかりました。

こうして私たちの学生時代を振り返るだけでも、学問としての哲学の編成が、人為的に作られたという事実に突き当たります。そしてある特定の時代の哲学観に基づく制度的な分割が、いまも変わらず継続されています。

哲学関係者に、中国哲学や日本哲学などないという人が結構いるんですよね。「哲学」とはあくまでも、近代ヨーロッパで制度化された学問なので、中国に対しては中国思想だろうというのです。
納富 
 「中国哲学」「日本哲学」という言葉を絶対に使わないと断言している人もいる。それは個人的なオブセッションではなく、日本が抱え持って来た「西洋」というしがらみであり、ことはそんなに簡単ではないんですよね。
中島 
 二〇世紀後半に特に現代思想の分野で、かなりの哲学批判がなされましたが、それでも哲学は制度的にほとんど変わりませんでした。これには日本の哲学界の怠慢を感じざるをえませんよね。本気で哲学を考えようとするならば、その制度的な分割も含めた哲学の構造やジャンルの問い直しから、考察していく必要があると思います。

もし中国哲学を退けるのなら、近代ヨーロッパ哲学と、納富さんの専門のギリシア哲学が、同じ哲学だと語ることも問い直すべきです。「フィロソフィー」はギリシア語由来なので連続しているかにみえますが、近代哲学と古代ギリシア哲学では、実は根本から異なる哲学議論をしているのではないのか。加えて、近代ヨーロッパ哲学におけるギリシア哲学の語り方は、きわめて問題だと思っています。本当は、ギリシア哲学は近代的な読解から逸脱するポテンシャルを秘めてはいないか。

そう考えると、中国や日本に哲学があるかという問いは、意味がない気がしてくるんです。つまりフィロソフィーの翻訳語としての「哲学」に限って問うたところで、仕方がないのではないかと。

いま日本語で「哲学」と呼んでいるものは、フィロソフィーという言葉に還元できるのか。逆に「哲学」をいま西洋語に訳し直してみたらどうかとさえ思っています。少なくとも「哲学」は、既存のフィロソフィーを揺さぶる力を蓄えている。そういう経験を日本の近代はしてきたし、中国も同様です。
納富 
 いまの話でもわかりますが、「哲学」という単語は複雑で、同時に非常に堅固なものですよね。日本の哲学は、確かに西洋近代のフィロソフィーとぴったり重なるようなものではない。異なる出自の文化を受容しようとし、異なる進歩をしてきた。

でもやはり、古代ギリシアに起源を持ち、キリスト教中世、ルネサンス、啓蒙主義、市民革命と帝国主義を経て、現在に至る、西洋で積み上げられてきたフィロソフィーを捉え返さないことには、「哲学」は日本にも中国にもそれぞれのものがあるんだ、といっても、相手にしてもらえない。実際、「世界哲学」を掲げたものの、反撥は少なくないですよね。

ですから、西洋哲学を古代ギリシアのフィロソフィーに遡って改めて見直すということと、インドや中国、日本、イスラーム、アフリカ、東南アジア、ラテン・アメリカ、ロシアなど西洋以外へ領域を広げて、思想を捉え直すこと。その裏表が必要になってくる。

我々が「科学」と呼んでいるものは、基本的に西洋科学ですが、わざわざ「西洋」とはつけません。では西洋の他に科学がなかったのかというと、中国にもインドにも日本にもそれぞれありました。例えば暦は各地にそれぞれの技術で作られていたものを、西洋の天文学からなる太陽暦に統一された。例外は医学で漢方や気功を用いる技術は、区別して東洋医学と呼ばれます。しかし基本的には駆逐されて、日本の伝統的な自然観を日本科学と呼ぶ人はいません。

それを考えると、西洋哲学に対して、これまで駆逐されてきた全てを含め、「世界哲学」というものを立ち上げようなど至難のわざです(笑)。西洋のフィロソフィー由来でないものを「哲学」と呼び、さらにそれに「世界」とつけることで、新たなものを立ち上げようなどと。二重三重に不可能なことを試みている。それに違和感をもたれるのは仕方がないし、むしろ違和感こそが意図だともいえます。
中島 
 「哲学」に安心しない、ということがこのプロジェクトのポイントですよね。科学の概念にはほとんどぶれがなく、大抵の人が安心しているように見えます。私はいささか疑問を持っていますが、それに比べて、哲学はそんなに安心できる概念ではないし、安心できる活動でもない。

近代西洋が普遍として提示しようとした知とは、ヨーロッパが構築する世界の中に、全てを包摂しようとするモデルでした。しかし、いま私たちが立ち上げようとしている「世界哲学」は、世界中にある諸哲学を、既存の哲学の枠組み、つまりヨーロッパ的世界観の枠組みの中に、集めようというものではない。

既存の「世界」概念が揺らいでいるいま、ヨーロッパが中心かどうか疑ってかかる必要があるし、近代ヨーロッパ的理性からなる知が、本当に普遍的なものなのか、そもそも知とは唯一普遍のものなのか。西洋近代哲学が追究してきた「普遍性」の概念さえ、問い直さねばならないわけです。

科学や数学の突端でそういうことを考えている人はいるかもしれませんが、同じことが、科学や数学で起きるかというと、基本的にはないだろうと思います。ところが、哲学ではその始まりから、それが重要な問題でした。つまり哲学という理念をどう形作るかによって、世界も変わってくる。ある意味で哲学は、根源的な不安定性、複数性に直面する学問です。納富さんがいったように、近代的なヨーロッパの哲学理念が、一つのモデルであることは間違いない。ですので、それを安易に哲学の「ワンオブゼム」だということはできない。それでも、それがどういうモデルだったのかを問う必要はあります。

そのような根源的な不安をかき起こす、こなれない概念が、「世界哲学」だということですよね。
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この記事の中でご紹介した本
世界哲学史1 ── 古代I 知恵から愛知へ/筑摩書房
世界哲学史1 ── 古代I 知恵から愛知へ
編集者:中島 隆博、納富 信留、山内 志朗
出版社:筑摩書房
「世界哲学史1 ── 古代I 知恵から愛知へ」は以下からご購入できます
世界哲学史2 ── 古代Ⅱ 世界哲学の成立と展開/筑摩書房
世界哲学史2 ── 古代Ⅱ 世界哲学の成立と展開
編集者:中島 隆博、納富 信留、山内 志朗
出版社:筑摩書房
「世界哲学史2 ── 古代Ⅱ 世界哲学の成立と展開」は以下からご購入できます
世界哲学史3──中世Ⅰ 超越と普遍に向けて/筑摩書房
世界哲学史3──中世Ⅰ 超越と普遍に向けて
著 者:中島 隆博、納富 信留、山内 志朗
出版社:筑摩書房
「世界哲学史3──中世Ⅰ 超越と普遍に向けて」は以下からご購入できます
「世界哲学史3──中世Ⅰ 超越と普遍に向けて」出版社のホームページはこちら
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