対談=中島隆博×納富信留 「世界哲学」、違和感からの再始動 『世界哲学史 全8巻』(筑摩書房)刊行開始‼|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年3月6日 / 新聞掲載日:2020年3月6日(第3330号)

対談=中島隆博×納富信留
「世界哲学」、違和感からの再始動
『世界哲学史 全8巻』(筑摩書房)刊行開始‼

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第4回
ポスト世俗化、哲学と宗教


中島 隆博氏
納富 
 近代西洋のフィロソフィーとは、基本的に排他的な枠組みでした。例えば大きなものに、宗教の問題があります。世俗化の流れの中で、宗教と哲学、宗教と科学、あるいは宗教と政治が切り分けられました。切り分けることによって、近代が成立したわけです。多くの哲学者もそれを前提に、哲学と宗教を対立するものと捉え、宗教は真理を抑圧するものであり、一方、哲学は人間の生き方に直接関わらないものであると考えた。

ニーチェの哲学を満足に理解しないまま、「神は死んだ」という言葉だけが一人歩きしていきます。

カントは典型的ですが、敬虔なキリスト教徒であったからこそ、哲学にできることはここまでと線を引くことが、哲学者の役割だと考えました。逆にいえばそのことで、哲学的な宗教批判が起こらず、宗教が手つかずに確保されることになります。「啓示」や「恩寵」の次元を哲学の範疇を越えると切り分けて、哲学は自己規制し、宗教の理性的な批判能力は弱まりました。実際は、理論的に考えることに神聖性がないかといえばそうではないし、簡単に二つに切って済ませられることではないのですが。

それは歴史的にみると、ごく局所的な現象に過ぎず、例えばギリシアでは、キリスト教もギリシア哲学も神秘主義も、神も人間も全て一つに包まれています。古代中国やインドでもそうですね。つまり西洋近代哲学が極めて特殊だったという認識が必要だと思うのです。
中島 
 十九世紀までには哲学と宗教を分けて、世俗主義こそ近代の原理だといったわけですね。でも実際には、いっていることとやっていることが違うという感じで、脱宗教的に哲学を語れた人などいませんよね。カントですら、最終的には神が舞い戻ってきましたから(笑)。世俗主義に基づいた哲学運動には限界があったわけです。それを踏まえた上で、今日のポスト世俗化を考えると、宗教と哲学の関係は再調整せざるをえません。
納富 
 キリスト教を放擲すれば、哲学が自由になるのかといえばそうではなくて、もう一度、神的なものが復活してくるんですよね。宗教を切り離せばうまくいくというような単純なことはないと大哲学者たちはわかっていたけれど、結果として歪めて受け取られた。そしてそのしっぺ返しがきている。二〇世紀の社会主義も全体主義も、そのしっぺ返しかもしれません。そのあたりを整理し直すという課題が、なお残っていますね。
中島 
 ツァラトゥストラはゾロアスターですからね。ニーチェはもともとフィロローグ(文献学者)ですから、十九世紀的な知を最大限に利用しながら、古代に遡り、ヨーロッパの外部にまで及んで、極限まで宗教の問題を考えているわけです。

そもそも宗教と哲学は截然と区別できるものではなかったですし、とりわけ古代の哲学には比較的宗教と緩やかに交わる土壌がありました。近代以降であっても、宗教的なものをなしにして哲学を語るのはほぼ不可能だと思います。
納富 
 そんな単純に、「神は死んだ」から、はい終わり、ということにはなりませんよね。二〇世紀の人たちがどこまでそれを理解して、その後を受け継いできたのかには、反省の余地がありそうです。
中島 
 現に二十一世紀になって起こっているのは、ポスト世俗化の運動です。宗教復興があちこちで起きている。中国では儒教ですね。自分が生きているうちに、まさか儒教が復興するとは驚きました。インドでもモディー政権はヒンドゥ至上主義といわれています。啓蒙主義によって、人々は合理的な知識を得、宗教といった迷妄なものは廃れていくと考えられていたわけですが、そう単純ではありません。キリスト教原理主義もかなり根強いものがありますし、イスラームにも復興運動があります。

こうした宗教復興の兆候は七〇~八〇年代からあったと思いますが、二十一世紀に入り顕著になっています。二十一世紀において宗教というものをどう考えるのか、哲学の概念が、我々のプロジェクトで少しずつでも開かれていけば、宗教概念も変わってくるのではないか。そういう希望を持っています。
納富 
 二・三巻は、いわゆる宗教ジャンルを哲学的に論じているので、その辺りの思想に関心がある方には面白く読んでいただけるのではないでしょうか。

我々がいま新たに構築しようと考えている哲学は、宗教を切り分けるようなものではなく、もっといえば文学や芸術までを含むものです。日本中世の歌論や随筆を排除して、日本の思想を語ろうとすると、僧侶が書いたものばかりになってしまいます。道元や空海だけでなく、日本にはおそらくもっと豊かな知性があった。今回の『世界哲学史』には、文学や芸術までは、含められませんでしたが、視野はそのように持っています。
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この記事の中でご紹介した本
世界哲学史1 ── 古代I 知恵から愛知へ/筑摩書房
世界哲学史1 ── 古代I 知恵から愛知へ
編集者:中島 隆博、納富 信留、山内 志朗
出版社:筑摩書房
「世界哲学史1 ── 古代I 知恵から愛知へ」は以下からご購入できます
世界哲学史2 ── 古代Ⅱ 世界哲学の成立と展開/筑摩書房
世界哲学史2 ── 古代Ⅱ 世界哲学の成立と展開
編集者:中島 隆博、納富 信留、山内 志朗
出版社:筑摩書房
「世界哲学史2 ── 古代Ⅱ 世界哲学の成立と展開」は以下からご購入できます
世界哲学史3──中世Ⅰ 超越と普遍に向けて/筑摩書房
世界哲学史3──中世Ⅰ 超越と普遍に向けて
著 者:中島 隆博、納富 信留、山内 志朗
出版社:筑摩書房
「世界哲学史3──中世Ⅰ 超越と普遍に向けて」は以下からご購入できます
「世界哲学史3──中世Ⅰ 超越と普遍に向けて」出版社のホームページはこちら
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