中平卓馬をめぐる 50年目の日記(46)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2020年3月9日 / 新聞掲載日:2020年3月6日(第3330号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(46)

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私たちは日立戸塚事業所の広い応接室に案内された。

事業所長たちとの挨拶はすべて中平さんに任せて、私は自由に使っていいと言われた重厚な会議机に養生用のボール紙を敷いてもらい、その上に撮影の用具類を並べた。スタッフが来て撮影予定のホールを案内をしてくれた。

初めて見る光景だった。洋箪笥がずらっと並んだ売り場のようだが、木の香りはしない。金属塗装の匂いと、熱を帯びたケーブル皮膜から出るビニールの匂い。箪笥に似た筐体の裏側に回るとまるで絡まった糸くずのように複雑な回線とチカチカと点滅する無数の光源、一見したくらいでこれが何かと分かる代物ではないことは分かった。そして説明を聞いても分からなかった。ただ、見ているうちにその複雑な回線が人の体内を走る血管の姿と重なって思えてくることだけは実感した。

控え室になった応接室に戻ると中平さんは「どうしようか」と言った。そしてさらに「これは人体模型だと思うしかないね。血管、神経、筋肉、腱……それだと思って撮るしかないね」と同じような感想を言うのだった。

相談の結果、「正確無比に撮ろう」となって、大型カメラならではのジャバラの効用、レンズやフィルム面を動かす操作はしない、垂直水平にカメラを三脚上に固定して、ひたすら愚直に撮る準備をした。いや正確には私にはそういう操作がやっとだった。

そしてお目当てのコンピュータ筐体の裏に回ってフレーミングを決めカメラの位置を定めた。次はフォーカスである。私はシャッターを開放値に開きルーペと冠布を中平さんに渡した。蛇腹の大型カメラではカメラのファインダーに相当するカメラ・バックの磨りガラスに像が上下左右が逆になって映る。中平さんは冠布の中で何度も首をひねっている様子だったが慣れないことなので苛立ったらしい。突然「ピントは任せる」と私に言いだした。

その時、「応接室に昼食のご用意をしましたのでどうぞ」と女性の声。時計を見るともう12時を回っていた。撮影許可をもらっているのは二日間だけ。「まあ準備ができたからあとは一気呵成にやろう。昼を食べながらプランを作るよ」と中平さんは言って結局午前中はシャッターを一度も切らないで終わった。

大きなトレーに鰻重と肝吸い、そして蒸し物の小鉢もあって贅沢なお昼をごちそうになった。けれども私は気が気ではない。中平さんは気付いていなかったが、肝心のシートフィルムをまだホルダーに装填していなかった。私は急いで食事を済ませ、内藤さんが用意周到に入れてくれたダークバックを使って、これも用意してくれてあったコダック・エクタクロームというカラー・リバーサルフィルムを10点のホルダーの両面に計20枚装填した。そして「中平さん、今日は20回しかシャッターを切れませんよ。ワンカットにつきどうしたって露光違いの2点は撮らないと。となると10カットです」と言った。

「分かった。もうプランは万全だから」と中平さんも急いで食事を終わらせ午後の仕事が始まった。私が冠布を被ってピントを合わせ、メーターで露出を測って判断し、レンズのシャッターチャージがすむと、「さあ、あとは押すだけ」と中平さんにレリーズを渡す。彼は息を止めてシャッターを切った。

結局その日は6カット20点の写真を撮った。そして私は麹町の現像所へ向かった。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)      (次号へつづく)
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