二〇二〇年二月二二日(土)〜四月五日(日)(原爆の図 丸木美術館) 「砂守勝巳黙示する風景」 主催:原爆の図 丸木美術館、企画協力:椹木野衣、砂守勝巳写真事務所|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年3月6日 / 新聞掲載日:2020年3月6日(第3330号)

二〇二〇年二月二二日(土)〜四月五日(日)(原爆の図 丸木美術館)
「砂守勝巳黙示する風景」
主催:原爆の図 丸木美術館、企画協力:椹木野衣、砂守勝巳写真事務所

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 沖縄に生まれ、奄美に育ち、プロボクサーを経て写真家となった砂守勝巳(一九五一―二〇〇九)の展覧会「砂守勝巳 黙示する風景」が、埼玉県東松山市・原爆の図 丸木美術館で開催されている。没後一〇年を経て、初の大規模展となる本展では、美術評論家の椹木野衣氏をゲスト・キュレーターに迎え、砂守の遺した島原・雲仙普賢岳の大規模噴火被災を捉えた「雲仙」の連作を中心に、釜ヶ崎の路上生活者、沖縄、広島など、未発表作品を含む約一〇〇点を展示。写真家・砂守勝巳を再発見し光を当てる。本展の開催にあたって、企画監修の椹木氏と砂守かずら氏にお話を伺い、当日行われたオープニングトークを取材した。 (編集部)
第1回
写真家・砂守勝巳との出会い

「砂守勝巳 黙示する風景」▽原爆の図 丸木美術館(埼玉県東松山市下唐子一四〇一☎〇四九三・二二・三二六六)、開館:九時~十七時、休館:毎週月曜、入館料:一般九〇〇円。詳細はhttp://www.aya.or.jp/~marukimsn/


当日のオープニングトークに先立ち、本展を企画された美術評論家の椹木野衣氏と砂守勝巳氏の娘でモデル、エッセイストの砂守かずらさんに開催までの経緯を伺った。椹木氏は、「今回の展示は短期間の間にいろいろな出会いや偶然が折り重なって展示に至った」として、次のように語った。

「最初のきっかけは、二〇一八年夏に写真家の江成常夫さんが相模原市民ギャラリーで開いた「After The TSUNAMI―東日本大震災」の公開トークのゲストに呼んでいただいたことだった。その会場に砂守かずらさんがいらしていて、トーク後に声をかけてもらったのが砂守勝巳との最初の出会いだった」

椹木氏は後日、砂守勝巳という写真家について調べたところ、もう亡くなった写真家であること、雲仙普賢岳の大規模噴火被災地を撮っていた写真家であることが気になったのだという。

「僕は東日本大震災以降、ずっと震災と美術、表現にどういう関係があるのかを考えて、『震美術論』(美術出版社)を出した。しかし、本では平成の最初の方に起きた雲仙普賢岳の火砕流被災については触れていなかったし、それを撮りためている写真家がいることも知らなかった。いろんな偶然が重なって企画が動き始め、江成さんにとっても僕にとっても東日本大震災が一つのテーマであったように、砂守勝巳さんの雲仙普賢岳も被災という意味で一つの求心力になって動いていった」

二〇〇九年に砂守勝巳氏が亡くなって以降、遺された写真を管理し、研究してきたというかずらさんは、

「父からは遺言のような形で管理を託されていた。でも保存の仕方も発表するにはどうしたらいいかもわからなかったので、まずは通信制の大学で学芸員の勉強をして、その後大学院に進んで美術とはどういうことか、写真とはなんなのかということを研究していた。父の写真の中でも雲仙普賢岳被災地の写真が気になっていたが、美術と災害について論じている方があまりいなくて、そのときに椹木野衣さんの『震美術論』がとても勉強になった。まさかこのような展示に繋がるとは思わず、父の写真を人が見てどう思うのか、そのことだけがずっと気になっていてお声掛けした」

砂守氏の晩年は、アシスタントの仕事もしていたというかずらさんだが、写真の話はあまり聞いていなかったという。

「だから逆にどういう気持ちで撮ったのか、どうしてそこを撮ったのかというのがわからなくて。写真についての突き詰めた話は、父は話さなかったし、私もそのときはあまり聞かなかった。でもこういうのを撮りたいとか、こういう本を読んでいるとか、そういう普段の会話の中から父がどういうことを考えていたのか、どういう感覚だったのかを、今も写真を見ながら探っている」
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