引揚・追放・残留 戦後国際民族移動の比較研究 書評|蘭 信三(名古屋大学出版会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2020年3月14日 / 新聞掲載日:2020年3月13日(第3331号)

引揚・追放・残留 戦後国際民族移動の比較研究 書評
従来の理解を完全に変える
―引揚が持つ世界史的な意味―

引揚・追放・残留 戦後国際民族移動の比較研究
著 者:蘭 信三、川喜田 敦子
編集者:松浦 雄介
出版社:名古屋大学出版会
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 一九四五年に日本が第二次世界大戦で連合国に敗れた結果、日本の(旧)植民地・占領地などにいた約三二〇万人の民間日本人は日本への「引揚」をおこなった。悲惨な経験をした引揚者も多く、それはしばしば敗戦にまつわる苦難の歴史の一幕として語られる。ただし彼らが引揚を余儀なくされた前提に、日本の植民地支配や侵略があったことも指摘されてきた。

本書で蘭らが明らかにするのは、この引揚がもつ世界史的な意味だ。日本人の引揚は、同じ時期に東欧のドイツ系住民一二〇〇万人がドイツへと追放されたことと深く関わっていた(序・一・三章)。引揚とは「帰る」ことを意味するが、ドイツ系住民は中世以来の居住者を含んだため、ドイツに「帰った」とは言いがたい。しかし両者は、連合国の指示による強制移住だった点で共通している。実は日本人引揚者にも現地出生者や残留希望者がいたが、実際の残留者は孤児や現地人の家族、そして労働のため残留を強いられた者などごく限られていた(十二章)。引揚とは、ある意味で「追放」だったのだ。

このような戦後処理としての住民移動という視点からは、同じ時期、約二〇〇万人の在日朝鮮人が朝鮮半島への引揚(送還)か、日本への残留かという二者択一を米軍から迫られたことも重要だ。引揚を選んだ者は差別や生活難、そして朝鮮戦争に直面し、残留を選んだ者は日本政府から日本国籍の剥奪という処遇をうけた(一・十・十一章)。

日本人・朝鮮人引揚の主なアクターだったアメリカにとって、こうした住民移動政策は冷戦下での難民援助政策にもつながった(六章)。他方、本書は一九六〇年代から七〇年代、アフリカ各地の植民地独立後におこったフランスやポルトガルへの引揚も紹介し(四・五章)、日本人の引揚とは戦後処理と脱植民地化とが重なり合った出来事であることを照らし出す。

本書は特に二つの点で、引揚に関する従来の理解を完全に変えた。第一にドイツ系住民の追放に関する英米ソ三国の合意こそが、日本人の引揚についてアメリカが検討を始めたきっかけだったこと。第二にこれらの前提には、第一次世界大戦後にギリシアとトルコの間などで行われた住民交換の事例があったことだ。こうした強制移住は両大戦後の戦後処理のなかで、複雑な民族構成は紛争の種だという見方から、民族的に同質な国民国家を作り出すため行われた(二章)。編者の一人である川喜田は、強制移住が可能だったのは「国民国家原理への信頼と共感」があったからだと喝破する(三章)。

つまり国民国家なるものが実在するかのように最近まで信じられてきたのは、実は戦後処理と冷戦構造の所産にほかならない。戦後そして冷戦期とは、国民国家イデオロギーと東西対立が相まって、グローバルな人の移動を制約する〝国境の壁〟が著しく高くなった特異な時代だったのだ。日本が移民とは無縁な国だという錯覚がなぜ生まれたのか考える上でも、本書は必読書だ。
この記事の中でご紹介した本
引揚・追放・残留 戦後国際民族移動の比較研究/名古屋大学出版会
引揚・追放・残留 戦後国際民族移動の比較研究
著 者:蘭 信三、川喜田 敦子
編集者:松浦 雄介
出版社:名古屋大学出版会
「引揚・追放・残留 戦後国際民族移動の比較研究」は以下からご購入できます
「引揚・追放・残留 戦後国際民族移動の比較研究」出版社のホームページはこちら
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