あふりこ フィクションの重奏/遍在するアフリカ 書評|川瀬 慈 (新曜社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2020年3月14日 / 新聞掲載日:2020年3月13日(第3331号)

あふりこ フィクションの重奏/遍在するアフリカ 書評
とっても近いアフリカ
歌、呪文、あるいはリズム、その予感

あふりこ フィクションの重奏/遍在するアフリカ
著 者:川瀬 慈
出版社:新曜社
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 寝息を立てる自分の身体を置いて、私は家を出る。「庭の木の枝に、梟がすでに迎えに来ていた。私は近づき、その上に被さる。すると、自分の身体が梟になった。足に力を込め、暗い夜のとばりに身体を投げ込むと、羽根が湿った空気を孕んで、私は空を飛ぶ。」私が妖術師の夜の集会へ出かける場面だ。この妖術師の私は、健康そのもののような娘を食べて殺そうとする。以上は「太陽を喰う/月を喰う」の一節。

西アフリカのベナン共和国を舞台にした、と作者の村津蘭は言うが、この話、日本のわが家の近所の話に近い。二十歳の孫娘は梟のいるカフェへ通っているが、彼女も梟になっている気がする。妖術師であるかどうかは分からないが。

川瀬慈の「歌に震えて」はエチオピアのラウジという歌う芸能者というか、呪術師のような男を描いている。彼らは門口に立って歌い物品をもらう。一種の門付け芸人だと思うが、こういう人だと私にはずいぶん親しい。私はふと新美南吉の童話「最後の胡弓弾き」を連想した。その連想の延長で、先の村津の作品も大江健三郎の森や樹を描いた小説に近い、と思った。

二作品を紹介したが、この小説集『あふりこ』は、アフリカを研究対象とする五人の若い人類学者が作者である。残りの作品と作者も挙げておこう。
あふりか!わんだふる!(ふくだぺろ)
バッファロー・ソルジャー・ラプソディー(矢野原佑史)
クレチェウの故郷(青木敬)
ハラールの残響(川瀬慈)

矢野原の作品はカメルーン共和国と日本をメールとキ(木)の根で結びつけた奇抜な発想が愉快だ。もっとも、この世でほんとうに賢いのは人々でなくキだ、という老人の思想があまり具体的に描かれていない。せっかくの荒唐無稽な発想が、小説として十分に展開していないということ。実はこれ、この小説集の特色でもある。日本語の小説なのだから、発想と同時に日本語の魅力をも示してほしかった。実はその魅力を予感させるものがどの小説にもある。歌、呪文、あるいはリズムだ。言葉の原始的気配のような音、その音を掘り下げたり展開したりしたら、日本語の見事な小説が、いかにも人類学者の作として登場するのではないか。

この小説集では、各編の末尾に作者の創作ノートのようなものがついている。人類学者としての思いを述べているが、このようなかたちで作者が表に出ることがなくなると、逆に右の音などが表に出て、アフリカはさらに私たちに近づくだろう。

では、小説も書く果敢な人類学者のみなさんに一句を献じよう。
桜散るあなたも河馬になりなさい 稔典
この記事の中でご紹介した本
あふりこ フィクションの重奏/遍在するアフリカ/新曜社
あふりこ フィクションの重奏/遍在するアフリカ
著 者:川瀬 慈
出版社:新曜社
「あふりこ フィクションの重奏/遍在するアフリカ」は以下からご購入できます
「あふりこ フィクションの重奏/遍在するアフリカ」出版社のホームページはこちら
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