政治的動物 書評|石川 義正(河出書房新社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年3月14日 / 新聞掲載日:2020年3月13日(第3331号)

政治的動物 書評
強靭で自在な論理を持った議論の迷宮
日本文学を、崇高、主権、賃借、模倣、マゾヒズムといった無数の領域から批評する

政治的動物
著 者:石川 義正
出版社:河出書房新社
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 批評という言葉が、専門知に囲い込まれることを拒否する脱領域的なテクスト実践を示していた時代があった。それは明らかにポストモダニズムの思潮と結びついており、わが国でも多数の批評家が、ドゥルーズ=ガタリやデリダのスタイルを範に、多様な文体的冒険を繰り広げていた。

今やそうしたスタイルは絶滅の危機に瀕している。現在の人文学畑の注目の書き手はみな、わかりやすく歯切れのいい文体を使用して、明確な問題意識(フェミニズム、差別、ケア等々)に基づき、社会的効力のあるメッセージを打ち出すことを意識しているように見える。例えるならば、専門性に裏付けられた問題意識というトーチカから徐々に戦線を広げていく陣地戦タイプと言えようか。

本書を開いたときに感じたのは、久方ぶりにそれとは異なるタイプのテクストに出会えたという喜びだった。文学作品を論じていたはずの文章がいつの間にか、政治論、国家論に変化し、かと思えば経済や社会を語り、無数の思想家や哲学者が次々に召喚されながら、複雑な議論の迷宮に踏み入っていく。前著『錯乱の日本文学』でも作品と社会事象、そして哲学的思惟をシームレスに接続しようとする意図は明らかだったが、それから四年を経て刊行された本書で、著者石川の論理的膂力ははるかに力強く自在なものになっている。無数の領域を軽々と滑空していくさまは、大空という三次元の「平滑空間」(ドゥルーズ=ガタリ)をアクロバティックに旋回する飛行機のよう。久々のエースパイロット登場というべきか。

本書は一九七九年から二〇一七年までの日本文学というフィールドを駆けめぐりながら、崇高、主権、賃借、模倣、マゾヒズムといった主題を次々に掴み上げては変奏を繰り返す。そこで取り上げられるテーマの複雑な絡み合いを明瞭に整理するのは評者の手に余るし、許された紙幅も限られている。そこで、とりわけ重要とみなされる「動物」と「非嫡出子」といったいくつかの概念についてのみ触れたい。

それではタイトルにもなっている「動物」とは何か。本書で論じられる「動物」は、近年話題の「動物の権利」論とはさしあたり関係がないし、人類学の新潮流の多自然主義が問題にしているそれとも明瞭には重ならない。本書の動物は、津島佑子、多和田葉子、川上弘美、松浦理英子といった作家たちの作品にふと紛れ込んだように現れる〈人ならざる何か〉の形象をさす。それらは無限判断に基づく内的同一性を持たないまま移ろいゆく仮象である。石川はそこに文化/自然、人/動物といった対立を腐食させ、「人間」――理性と財産を持った成人(白人)男性を標準モデルとする――を緩やかに解体し、複数化する契機を見ているといって良い。その意味で本書は、SF的想像力に訴えることなくポストヒューマン文学を思考しようとする試みである。それは同時にポスト男性文学であり、ポスト近代文学でもあるだろう。

では石川はどのように人間の文学が終焉し、動物たちの文学(?)へ移行しつつあると考えているのだろうか? その理路が直線的に語られることはないのだが、繁殖や継承といった世代間連鎖の問題が何度か取り上げられていることに注目しよう。

「人間」は繁殖することで国家を生み、国家は主権を核に構成される。主権は内と外に境界線を引き、メンバーを数え上げ、円環としてイメージされる実無限として自らを表象する。そして主権は天皇制が典型であるように、父から子へ延々と同一性が引き渡されてきたと語ることで権威を得る。それに対して、例えば中上健次は、被差別部落である「路地」の私生児である秋幸というキャラクターを創造することで主権の撹乱を目論んだと語られることがあった。だが石川は、「私生児」という概念はそもそも家父長制の内部で成立すると指摘する。そこでは父との血の連続性が前提とされてあり、ただ家制度の仕組みにおいて周縁へと追いやられているに過ぎない。だから私生児という言葉の持っている負性はしばしば聖性に転化し、いわば貴種流離として、むしろ正統性の強化につながるだろう。そこで石川が着目するのは「非嫡出子」という概念である。これは家父長制とは関わりがなく、無味乾燥なお役所的手続きに依拠するカテゴリーである。津島佑子の「黙市」では、野良猫が父親のいない子どもたちの「父親」になるという契約が夢想される。ここでは継承という主権の重要局面に動物が紛れ込み、人は動物の子となり、種の連続性は解体され、しかしひそやかな生の営みだけが継続されている。松浦理英子の「犬身」や、笙野頼子の「金比羅」といった作品の中に石川が見出すのも、これとよく似た人間の内部にいつのまにか人ならざるものが到来しているという事態にほかならない。AIの発展を待たずとも人間は緩やかに主権を失いつつあるのだ。

もっとも動物は無害でおとなしい平和をもたらすキャラクターというわけではなく、石川は繰り返しデリダを引きながら、動物は暴力を行使する主体(獣)でもあるのだというのだから、人と動物の関係は錯綜している。動物は直線としてイメージされる悪無限──いつまでも終わることのない悪夢的プロセス──にいつも後から加わる誰か、なのである。ちょうど国境に壁を築いても、必ず間隙を見つけ出して入り込んでくる移民や難民のように。それは民主化の過程であると同時に、葛藤や軋轢が露呈し、不和と暴力がせり出してくるモメントである。

人間たちのあいだに素知らぬふりで動物たちがやってきている。自分たちもまた、気づけば人よりも動物に近い何かに変身している。ここ三十年の日本文学は、確かにそのひそやかな変化を記録していたのだから、批評もそれに応答しなければならないと石川は考えているのだろう。本書の末尾に「日本において「批評」と呼ばれる営為は、長らくシステムと交換不可能な実存について語ってきたように思われる」(傍点原文)という一文がある。福田恆存の言葉を借りるなら、それは「一匹と九十九匹と」のあいだでは一匹であることを選択するという意味であり、畜群の群の一部であるのを拒否して、誇り高い人間であると宣言することであるだろう。それに対し、本書は動物の側につこうとする。つまり実在とも呼べない一貫性を欠いたかけらのような存在を肯定しようとする。日本近代文学研究という保守的な場所に、こうした弱さにつく批評が、強靭な論理を持って現れたことを喜びたい。
この記事の中でご紹介した本
政治的動物/河出書房新社
政治的動物
著 者:石川 義正
出版社:河出書房新社
「政治的動物」は以下からご購入できます
「政治的動物」出版社のホームページはこちら
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