橋爪大三郎氏/内田樹氏 インタビュー 69年5月、駒場900番教室の記憶 映画『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』公開を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年3月13日 / 新聞掲載日:2020年3月13日(第3331号)

橋爪大三郎氏/内田樹氏 インタビュー
69年5月、駒場900番教室の記憶
映画『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』公開を機に

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第2回
微妙な力学の中で成立した討論会

Ⓒ 2020 映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」製作委員会
三島(写真右端)と、芥正彦氏(右から三人目)

――討論会が開催される前後の学内は、どういった雰囲気だったのでしょうか。
橋爪 
 あれは、全共闘が排除され、東大闘争も敗北して、みんなズタボロになっていた時期でした。駒場では、二月まで全共闘の拠点だった建物から追い出され、三月には、教授会に押しかけて徹夜で談判したら五百人も逮捕された。四月には授業も再開されました。そんなこんなで、みんな消耗し切っていたのです。

三島と全共闘の討論会は、そんな闘争の局面が一段落したあとに開かれました。自分たちは政治的に負けたかもしれないが、思想的には負けてないはずだ。すんなり「正常化」するのは癪だ。そう考えた学生たちが、〈焚祭〉というイベントをやることになった。そのハイライトが、三島由紀夫を招いた討論会でした。

「正常化」とは、文化的なイベントなら行なえるということです。全共闘が政治運動をすれば取り締まる。でも、全共闘系の学生の文化イベントまで取り締まっていいのか。取り締まると、正常化していないと認めるようなものなので、大学側も指をくわえて見ている。正常化に協力した共産党系の組織も、片目をつぶることにしたのでしょう。あの討論会は、そういう微妙な力学の中で成立したんですね。

――三島にはどのような印象を持っていましたか。
橋爪 
 三島の小説そのものに、ピンと来ていた全共闘の学生はそう多くなかったと思います。ただ三島は生き方がとても戦後的なんですね。文学とファッションが融合していて、「戦後」というものにこだわっていた。そんな具合に光っていたから、みんな意識せざるを得なかった。いっぽう三島の側も、私たちに対して勘違いがあったと思います。まず全共闘を、いつでも暴力をふるう集団だと思っていたようだ。だから「命がけで乗り込む」みたいに、気負ってやって来たのではないでしょうか。ただ、気負ってやって来たしょっぱなのところを、私は見てないんです。バイトがあって遅刻してしまったんですね。

全共闘側の代表格として、三島と互角に渡り合ったのが、芥正彦さんです。芥さんの劇団に、私も入っていました。討論会を企画した小阪修平さんや木村修さんから、出なきゃ困るよと急かされていたのも、聞いていました。「じゃ、赤ん坊でも連れていくか」となりました。
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