中平卓馬をめぐる 50年目の日記(47)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2020年3月18日 / 新聞掲載日:2020年3月13日(第3331号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(47)

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現像所ラボのスタッフの「上がりましたよ」と言う声に、「写ってましたか?」と咄嗟に返したが、フィルムの現像待ちにはそういうスリルが常にあった。ラボのライトボックスで結果を確かめて帰ったその夜は安堵して朝までぐっすりと眠れた。

翌朝、戸塚駅の改札口には先に中平さんが着いていた。会うなり私が手にしているラボの袋をひったくるように取った。そしてフィルムを一枚一枚空にかざして見た。
「さすがにリンホフだね。きれいに撮れてる。それにしてもこのサイズになるとシャープに映るね」と表情が緩んだ。私はラボで撮影済みのシートフィルムを入れる空き箱をもらって来ていたので「今日はたくさん撮っても大丈夫ですから」と言った。すると中平さんは「いや、今日はリンホフは少しにしてあとは35ミリで撮ることにする。フィルムは用意してきたから。4×5カメラのそばにいるとまるで頭が回らない。奴隷のような気分になるからね」と。

実はこの仕事も森山大道さんとの共同撮影になっていて、森山さんも同じ頃に東大の計算センターで稼働している電算機周辺の様子を35ミリのモノクロでスナップ撮りをしているはずだった。中平さんは大型カメラでカラーの物撮りを、と分担したはずで、私がだから「いいんですか?」と言うと、「ああそうだったなあ。じゃあやはり奴隷に徹するか」とすぐに吹っ切れた様子になった。

事業所の守衛室の前を通ると、「アサヒさんですね。おはようございます」と明るく声をかけられて2日目が始まった。

用意してくれたコーヒーを飲みながら、中平さんはノートに絵コンテを描き、それに番号をつけ「これがシナリオだよ。番号順に撮ってゆこう」と言った。

しかしさんざん迷って位置決めをして撮りおえても、カメラを次の場所に動かし始めるときまって「このあたりからの方がよかったかな」という迷いがおそってくる。そのたびに中平さんは自分に言い聞かせるように「絶対のポジションなんていうのはないよね、土門拳の仏像だってたまたまの視点。本人が絶対だと確信させられるようになるんじゃないかな、こういうカメラを使っていると」と何度も言った。

後日、印刷された特集を見ると、やはり森山さんの写真は彼独特のトーンで、白日夢のような計算センターの空虚さを表している。対して中平さんのリンホフ写真はひたすら克明にディテールを描写しているだけ。

だが見ているとそのディテールが地球の表面のように見えたり、複雑なパチンコの盤面に見えたり、人の意識がどう走り回るのかといったことを想像させたりと、くるくると表情を変えるのがおもしろいと思った。

そう伝えると中平さんも「そうなんだ。これは撮っている時よりもあとからの方がいいね。肉眼で見えないものが見えてくる感じになる。フィルムとカメラの大小はものの見方を変えるね。発見する世界が違う。大小の必然性が分かったよ。でももう使わないけどね」と言った。

2日目は撮影済みのフィルムを持って中平さんも一緒にラボに行った。上がりを待ち、結果を確かめると「よし、オーケーだ。あなたはすぐ大学に戻らないとね」と言うのでそこで別れた。

翌日、久しぶりの大学にはいっそうの喧噪が渦巻いていた。もう授業どころではなくなっていた。いくつものハンドスピーカーが「スト権を確立しよう」と呼びかけていた。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)         (次号へつづく)
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