隣り合わせの生と死、尽きることのない語りの魅力 ワン・ビン監督作品『死霊魂』|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年3月18日 / 新聞掲載日:2020年3月13日(第3331号)

隣り合わせの生と死、尽きることのない語りの魅力
ワン・ビン監督作品『死霊魂』

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4月4日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開 ©LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINÉMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018
 毛沢東は一九五六年に百花斉放百家争鳴という運動を推進して、共産党への批判を歓迎した。だが翌年、彼は方針を翻し、「右派分子が社会主義を攻撃している」として、反右派闘争を始め、党の批判者を再教育収容所に送った。五八年に開始された大躍進政策の失敗により、五九年から六一年にかけて大飢饉が起こるなか、収容所に送られた者たちの多くが死んだ。ワン・ビンの『死霊魂』は、ゴビ砂漠にある夾辺溝再教育収容所に送られながらも生き延びた者たちへのインタビューからなる、八時間を超えるドキュメンタリーだ。

『死霊魂』を政治的な言説に還元すること程貧しい行為はない。この映画の素晴らしさは何より、尽きることのない語りの魅力にある。髭の白いシン・ドーが語り手の一人として登場する。彼は収容所で炊事係となり、幹部の食事を盗み食いして飢えを凌いでいたが、それを白状すると強化監視隊へ移動になったと語り、人肉食があったことも示唆する。暗くなり表情が見えなくなっても、彼の語りは延々と続くが、これだけで一本の映画になりそうな程面白い。彼と親しい同郷のリー・ジンハンの語りも楽しい。この熱心なキリスト教徒は宗教的な幻覚を見たり、毎晩の遺精を通じて死期の到来を感じたりする。また、ジャオ・ティエミンは、褒め言葉だけだと信用できないから共産党の問題を指摘せよと求められ、欠点もあると言ったら、収容所に送られた。収容所から二度逃走し、二度目は家に辿り着いたが、その翌日に居民委員会が彼を捕らえにやって来た。こうした深刻な話を彼は生き生きと快活に話し、これもまたそれだけで一本の映画ができそうだ。グー・フイミンは問題発言などしていないのに、収容所に送られたと言う。彼は耳が悪いのか右耳に手を添えながら話すが、それでもその語りは生き生きとして魅力的だ。ジャオもグーも高齢者とはとても思えない程、画面に活気が溢れている。だが、今挙げた四人の語り手は映画の完成の前に全員亡くなった。彼らの語りに宿る生気は死を目前にしてのものだったのだ。

隣り合わせの生と死はこの映画の重要な主題である。映画はジョウ・ホイナンへのインタビューで始まり、次に弟のジーナンがベッドに寝たまま弱々しく語る。その次に描かれるのは一か月後の弟の葬儀で、彼の棺桶が墓穴に埋められる。さらにある老婆が、「私も早く死にたい。死ねば苦しみから逃れられる」と呟く様子が示される。こうして、収容所を生き延びた人々の撮影時の生と死の物語が語られる。彼らはインタビューに応じて、半世紀前の収容所での生と死の悲惨な物語を語る。どちらの物語でも、生と死が隣接する。映画はしばらく後に、収容所の跡地に散在する人骨を示し、ラストでもう一度映す。生存者たちを語り手とする第二次物語言説で語られた無数の死が、第一次物語言説において人骨として姿を現すのだ。砂漠の地表に剥き出しのまま散らばったこの骨は、山上の墓穴に埋められるジーナンの棺桶と同じ次元の言説で示され、響き合う。理不尽な迫害による悲惨な死であれ、長寿を全うしての死であれ、人は皆死に向かって生きている。生存者たちは隣り合わせの死を見つめることで、かえって自分の生を実感しているのか。『死霊魂』の語りの魅力はそんな生の輝きにあるのだ。

今月は他に、『ロングデイズ・ジャーニー』『ドミノ 復讐の咆哮』などが面白かった。また未公開だが、マティアス・ピニェイロの『エルミア&エレナ』も良かった。(いとう・ようじ=中央大学教授・フランス文学)
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