「北方謙三ワールドを語る」  千代田区立 日比谷図書文化館|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年3月18日 / 新聞掲載日:2020年3月13日(第3331号)

「北方謙三ワールドを語る」
千代田区立 日比谷図書文化館

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二月六日、千代田区立日比谷図書文化館にて、小説家・北方謙三氏による講演/日比谷カレッジ「北方謙三 北方謙三ワールドを語る」が開催された。現在、直木賞の選考委員も務める北方さんが、どのように本に親しみ、なぜ小説家を目指したのか。文学談義を中心に、講演の様子を抄録した。 (編集部)


※写真右に記事を回り込ませる
北方 謙三氏
今日は、私がどのように本に親しみ、どうして小説を書き始めたのか、そのことを中心に話そうと思います。私は字が読める前から、本を持っていました。理由は、父にあります。一番よく覚えているのは、小学校にも入学していない私を、書店の児童書売り場に連れていってくれたことです。そこで父は私に、「好
※写真右に記事を回り込ませる
北方 謙三氏
きなものを何か選べ」と言った。ただ、まだ字が読めませんから、絵本でもタイトルがわからない。絵を見て面白そうなものを選びましたが、どう読めばいいかもわからないんですね。仕方がないので、登場人物の顔をじーっと見て、「コイツはこんな人間だろう」「こういう過去があり、今から何かしでかすだろう」と、色々と想像しながら、本に親しむようになった。いわば絵本の中を旅して、三十通りくらいの物語をつくりだしていました。

小学校六年生になって読み始めたのが、下村湖人『次郎物語』です。物語の中で、主人公の次郎は兄の許嫁を好きになる。そうすると、私もその人を好きになる。そんな風に小説を楽しんでいました。
この『次郎物語』に関しては、後日譚があります。作家になってからのことです。人生で初めて読んだ物語は『次郎物語』だと答えたところ、それを聞いた周囲の人に、「そんなものを読んでたのか!」と驚かれました。でも、その場で「私はこの物語で目を開かされたのよ!」と、全員を黙らせた女性がいた。山田詠美さんです。
その後、『銭形平次』シリーズを読み、『少年少女文学全集』を読み始めました。そこに収録されていた「スイスのロビンソン」が、めちゃくちゃ面白い話だった。移民船に乗った一家が遭難して、ある島に辿りつくのですが、移民船ということもあって、開拓にピッタリの農耕器具を持っている。それを使いながら島を開拓し、ユートピアを建設していきます。どんなにひどい目にあっても、失敗しても、リカバリーしながら物語が進んでいくので、マイナス要素がない。開拓小説には、小説の一つの本質が表れていると思います。
あの頃から、小説って面白いと思っていました。でも、作家になろうなんてまったく思っていなかった。それでも中学生から高校生の頃は、たくさん本を読んでいました。家に『日本文学全集』と『世界文学全集』があったので、高校二年生までに全巻読破した。結構な量がありますから、つまらない部分は端折って読んだのだと思いますけどね。これだけ読むと、やっぱり何か書きたくなるものなんです。高校三年の時には、詩を書いてみようと思い立ちました。叔父が貧乏な絵描きだったのですが、歴程派の詩人たちと仲が良かったので、その影響だと思います。山本太郎さんをはじめ、いろんな詩人たちと会う機会に恵まれた。私は、彼ら浮世離れした詩人たちの会話から、言葉の使い方を習いました。
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初めて書いた小説は、『新潮』に掲載されました。次作も同じように載って、編集長には、「君は大江健三郎以来の天才学生作家だ」と言われた。だから、自分は本当に天才だと思ってしまったんですね。
それなのに、そこからは書いても没、書いても没。当時の文芸誌の掲載率は、中上健次が三割、立松和平が二割五分、北方謙三が三分です。百本書いて三本ですから、たまったもんじゃないですよ。書いたものがほとんど没。その状態が五年くらい続くと、「あれ? 俺は天才じゃないな?」と思うようになる。「それなら自分は何だ? 天才じゃないけれど、十分に才能はある」、そういう考えに至って、更に五年経つと、「才能もない」ことに気付くわけです。

ちょうどその頃、宮本輝『泥の河』と中上健次『岬』を読みました。実は、彼らが純文学の世界にいたから、私は物語を書こうと思ったんです。この二作を読んだ私は、どうしたって彼らと同じようなものは書けないと悟った。純文学は、それを書くために生まれてきた人がいるんです。彼らは書かなきゃいけないものを抱えて、生まれてきている。それならば、自分に書けるものはなにか。真剣に考えました。まだ字も読めない時分から、絵を見ながら物語を作っていたのだから、物語なら書ける。挑戦する余地が十分にあるはずだ。そう思い、物語を書き始めました。
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ものにならない小説を十年も書いていると、実社会でエリート街道に乗った友人たちは、私に「人生を棒に振るなよ!」と叫び、親戚は「今からでも司法試験を受けなおせ」と言い始める。でもその時、親父が「男は十年だ」と呟いたんです。「小説家は人間のクズだ。弱いくせに喧嘩をしては負け、貧乏で、酒癖も女癖も悪くて、時々自殺する」。昔、そんなことを言っていた親父が、「十年同じ場所で我慢できたら、違うものが見えてくる」と言ったんですね。
クズ呼ばわりしていたくせにふざけんじゃねぇ、なんて思っていたら、その頃から売れ始めました。書き始めて十二、三年経ち、こんなにも忙しくなるのかと驚いている間に、親父はぱたっと倒れて亡くなった。親父の言葉が正しかったと気付いたときには、もういなくなっていました。
遺品を整理するため、父の会社に行った時のことです。仕事机の引き出しに、私の本がずらっと並んでいて、びっくりしました。読んでいるなんて、一言も口にしたことはありませんでしたからね。その後、横浜のある書店の書店員さんに「お父さんを知っています」と言われたこともあります。親父は、書店で私の単行本デビュー作を見つけて、こんなことを尋ねたそうです。「これは売れたから二冊しかないのか、それとも二冊しか入荷がないのか」。「配本が二冊」だと書店員さんが答えると、「金に糸目はつけない、何冊でも入れろ」と言ったらしいです。全然知りませんでした。父と子なんてね、男親なんてね……、本当そういうものなんです。
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私の書いたボツ原稿を重ねると、背丈を越えます。こんなに無駄書きしたのかと思いますが、青春というのは、無駄なものなんです。無駄にエネルギーをかけて、馬鹿げたことをしているけれど、どこか一途で純粋。それが青春というものです。何かを成し遂げる時期でも、意味があることをする時でもない。とりあえず、やる。私は、周囲の誰もが「やめろ」と言う中で、ボツ原稿を積み上げてきた。それが私の青春です。だから、ボツ原稿の山を見ても、捨てたものじゃないと思える。何かを成し遂げたのでもなく、挫折するところにまでも至らない日々を送ってきました。でも、あの日々は無駄じゃなかった。そう思えるのは、いいものですよ。あの頃があるから、今はいくらでも書ける気持ちになれる。私は、どんなに苦しくても、小説を書かなきゃいけない。書き続けなくてはいけないんです。

      (おわり)
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