佐々涼子インタビュー  生きるということ、幸せの拠り所  『エンド・オブ・ライフ』(集英社インターナショナル)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年3月21日 / 新聞掲載日:2020年3月20日(第3332号)

佐々涼子インタビュー
生きるということ、幸せの拠り所
『エンド・オブ・ライフ』(集英社インターナショナル)刊行を機に

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第6回
エンド・オブ・ライフ

佐々 涼子氏
――訪問診療という概念が出来たのが、一九八六年だとありました。結構最近のことですね。
佐々 
 そうですね。お金持ちの特別な人にだけ主治医がいて、家に診療に来てもらっていたところから、概念が作られ、高齢化の影響もあって一般に広がってきた、というところでしょうか。

――でもいまも、在宅と入院とを秤にかけて選ぶ人が多いかといえば、そうでもない気がします。本書のタイトルは『エンド・オブ・ライフ』ですし、人生の質を求めるという概念が「クオリティ・オブ・ライフ」と、日本語でないことも気になりました。
佐々 
 日本ではいまも病院で死ぬことが一般的ですよね。病院に管理されて人生を終わる人が多いですが、良くも悪くも在宅はフリースタイルなので、何でも自分で決めなければならないですし、逆にいうとそういう過程があってこそ、人生の質を求めるという考え方が出てくるのだと思います。外国と比べてどうかは分からないですが、「クオリティ・オブ・ライフ」や「エンド・オブ・ライフ」は、当然あちらからきている概念でしょう。日本はどちらかというと、個を大事にする文化ではないですし、それぞれの人が何を大事にして、どう生きていくかということについて、深く考える暇がなかったとも思います。

誰もが病気になったら病院に行って、入院して亡くなるというお決まりの流れだったのが、突然、在宅もありです、あなたの人生ですから何を選んでも自由ですよ、といわれても戸惑いますよね。「エンド・オブ・ライフ」はこれから一層考えていくべき概念ではないでしょうか。

――「クオリティ・オブ・ライフ」は、痛みを繊細にコントロールする、緩和治療の力なしには成り立たないという話もありました。
佐々 
 蓮池史画先生と早川美緒先生を取材させてもらいましたが、とてもいい先生方でした。痛みとはパーソナルなもので、同じような症状だとしても人によって感じる痛みが異なってくる。痛みには身体的な痛み、精神的な痛み、社会的な痛み、スピリチュアル・ペイン(魂の痛み)の四種類がある。身体的な痛みを完全に取り除けばいいかといえば、逆に実際の痛みが軽くなった分、スピリチュアル・ペインが表れてくることもあると。モルヒネの処方にしても、刻々と病状が変わっていきますし、規定通りで痛みが取れないときに、追加する責任を医師がどこまで負うのか。知識や経験はもちろん、患者を思いやる気骨や医師の性格にも左右されるでしょう。患者を身体だけでなく心まで看て、痛みをコントロールしてくれる医師の存在は、救いでした。二人に一人ががん患者という現在、私たちにとって救いです。これまで医療とは治すためのもので、緩和ケアは重視されてこなかったようですが、人を救う仕事だと思っています。

――患者さんが洗濯物を畳んでいるシーンや、「この家はできる限り私が回していかないと」という言葉などに、在宅医療の意味を知る気がしました。

この本を読むうちに「クオリティ・オブ・ライフ」は、患者さんの人生であり、また周囲の人に、大切な時間を分け与えるものにも感じられました。もちろんうまくいく人ばかりでなく、家族の時間を奪う結果もあると思いますが。
佐々 
 そうですね。病院でもできることはたくさんあって、「クオリティ・オブ・ライフ」は、在宅に限らないと思いますが、自宅で過ごす時間の中で、子どもと一緒にいたいとか、できるだけ家族の面倒をみたいと願う人にとっては、大事な時間になるのではないでしょうか。

残された時間の中で、家族との約束を守りたい、いい思い出を作りたいという願いは、やはり心を打ちますよね。そういう時間を生き切るために支援できるのは、遺される人たちにやり切った達成感や一体感ももたらします。それはある意味では、亡くなっていく人が贈ってくれるものなのかもしれません。

――篠原さんのギターの夜も、思わず「お疲れ様」の拍手がわいた森下さんの最期も、悲しい瞬間でありながら、何にも代えられない大事な瞬間でもありました。
佐々 
 本当に、こんなふうに亡くなることができるように頑張って生きようと思いますよね。理想的に死ねる人ばかりではないでしょうけれど、こんなふうにも生きられるということを、見せてもらいました。

――「カーテンコール」の章は、「いつか私が。いつか誰かが」と締めくくられています。いずれ誰もが死にますが、最期の時は、生を周囲の人々と濃厚に共有できるひとときになるのかもしれない。そういう最期に立ち会えたり、自分も迎えられたりするように、毎日を大切に生きていきたいと思います。
佐々 
 うちは息子が二人いますが、お母さん楽しそうにやってたね、と思ってもらえるのが究極の目標です。母親が好きなように、楽しそうに生きていたのだから、僕らも楽しく暮らそうと思ってもらえるといいなと。

自分の死期を悟っていたのでしょう、祖父が別れの挨拶に訪れて、黒い帽子を見えなくなるまで振り続けていた姿が、一つの理想として私の中にあります。身近な人の生き方、死に方には、影響を受けますよね。

私自身に人生の中で大切にしているものがちゃんとあって、幸せに暮らしていたら、続く人たちもきっと同じように生きてくれるのではないか。そういう見本になれたらいいなと。もちろんそれは希望で、どんなところでどんなふうに死ぬかは分かりませんが、そう思って、毎日を大切に生きていきたいものですね。

(おわり)
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この記事の中でご紹介した本
エンド・オブ・ライフ/集英社インターナショナル
エンド・オブ・ライフ
著 者:佐々 涼子
出版社:集英社インターナショナル
「エンド・オブ・ライフ」は以下からご購入できます
「エンド・オブ・ライフ」出版社のホームページはこちら
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