アーレント=ショーレム往復書簡 書評|ハンナ・アーレント(岩波書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2020年3月28日 / 新聞掲載日:2020年3月27日(第3333号)

アーレント=ショーレム往復書簡 書評
ある「星の友情」の記録
あまりにも切ない読後感、ずしりと重い内容の一冊

アーレント=ショーレム往復書簡
著 者:ハンナ・アーレント、ゲルショム・ゲアハルト・ショーレム
翻訳者:細見和之、大形 綾、関口 彩乃、橋本 紘樹
出版社:岩波書店
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 重量も内容もズシリと重い一冊。そして、あまりに切ない読後感。本書は、二〇世紀を代表する二つの巨星が相まみえ、火花を散らした稀有の友情の記録である。

ゲルショム・ショーレムとハンナ・アーレントといえば、一九六三年の往復書簡がつとに有名である。『エルサレムのアイヒマン』が火をつけた大論争の中でも最も壮絶なこの公開書簡が、矢野久美子訳で『現代思想』一九九七年七月のアーレント特集号に掲載されたときの強烈な印象は忘れがたい。しかしその印象が一面的なものでしかなかったことを、二人の交わした書簡を網羅的に集成した本書はわれわれに教えてくれる。

ユダヤ人絶滅政策という深刻な問題を、突き放したまなざしで冷静に考察し、ときには皮肉を交えて論評するアーレントの「軽々しい文体」を、私は好む者である。それゆえ私はこれまでもっぱら、その味わいを引き立ててくれる相手役としてショーレムを見てきた。だがそれは的外れであった。旧友の二人は深く尊敬し合っていた。そうであるからこそ、両者の決裂に心揺さぶられるのである。

ユダヤ思想史家としてのショーレムの名を不動のものとした『ユダヤ神秘主義 その主潮流』(一九四一年刊、邦訳:法政大学出版局)を、アーレントは贈られ、一九四三年初に受け取っている。同年一一月四日付の献本礼状の中でアーレントは、返礼が遅れたことを詫びる一方、「繰り返し読み耽って」、著者宛に「多くの「恋」文を書いてきた」と告白している。別便で送られたアーレントの書評「新たに考察されたユダヤ人の歴史」の完全版が、本書簡集に関連資料として収録されている。アーレントのユダヤ理解が、ショーレムの画期的研究の影響下にあったことは間違いない。

だが、シオニズムの志を抱いて若き日にパレスチナに移住しエルサレムのヘブライ大学で長らく教えたユダヤ学の泰斗と、そもそもユダヤ人の国民国家建設に懐疑的だった稀代の批判精神との間に、緊張関係が生ずることは避けがたかった。
その最初の衝突を引き起こしたのは、アーレントの論文「シオニズム再考」(一九四五年発表)であった。ショーレムはそこに、「コミュニスト」的な「反シオニズム」を見出し、「失望」し「憤激」したと、長大な返事を送っている。この一九四六年一月二八日付のショーレムの手紙と、同年四月二一日付のアーレントの返信は、本書の最大の読みどころの一つである。アーレントは、「ユダヤ人の国民国家というものは危険で愚かな冗談である」と言い切るばかりか、アナーキストを自任するショーレムに「あなたのアナーキズム」にはもっと反対だ、と応酬して憚らない。その肝っ玉には冷や汗が出るほどである。

しかしこの時点では両者は決裂には至らなかった。二人の間には「ベンジ」、つまりヴァルター・ベンヤミンという絆があったからである。アーレントはショーレムへの上記返信を始めるにあたって、ベンヤミンの遺稿を出版する算段について長々と書いている。あたかも、決裂を避けるべくベンヤミンという仲介者を呼び出そうとするかのように。

アーレントは一九三五年パレスチナを訪れたときショーレムに出会ったが、文通が始まったのは一九三九年。ベンヤミンの絶賛する未刊原稿『ラーエル・ファルンハーゲン』をショーレムが読み、アーレントに好意的な手紙を書き送ったことがきっかけだった。その手紙は見つかっていないが、本往復書簡集は、一九三九年五月二九日付のアーレントからの返事から始まる。その中でアーレントは「ベンジのことは大いに気がかりです」と漏らしている。衝撃的なのは、アーレントの次の一九四〇年一〇月二一日付ショーレム宛手紙の冒頭である――「ヴァルター・ベンヤミンが命を絶ちました。九月二六日、ポル・ボウのスペイン国境でのことです」。

亡命中のベンヤミンが命を絶つ少し前、同じ境遇のアーレントと親しく語らったこと、またアーレントが、そのとき託された「歴史の概念について」を含む原稿を携えてアメリカに渡り、出版の努力を続けたことは、よく知られている。本書簡集は、その事実を詳らかにする一次資料である。それ以前に、一九三〇年代後半のパリでベンヤミンとアーレントが交遊したことは、『ベンヤミン=ショーレム往復書簡』(邦訳:法政大学出版局)の最後のほうでアーレントの名前が頻出することからも窺える。ベンヤミンの推薦でアーレントがショーレムに送ったからこそ、『ラーエル・ファルンハーゲン』の原稿は紛失を免れて後年出版された。ショーレムとアーレントの文通のきっかけとなった『ユダヤ神秘主義』(そのアメリカでの普及にアーレントは尽力した)には、ベンヤミンを追悼する献辞が付されている。仲介者ベンヤミンが不在のまま臨在している本『アーレント=ショーレム往復書簡』は、『ベンヤミン=ショーレム往復書簡』の続編ともいうべきものである。

ベンヤミンがアーレントとショーレムをつなぐ絆となったことには、死者が書き遺したものを出版すべく生者二人が一致協力したことが与っていた。それに加えて、両人には連携すべき共同事業がもう一つあった。

ナチドイツによる壊滅的被害からユダヤ文化遺産を救うために、戦後すぐ「ヨーロッパ・ユダヤ文化再興委員会」が組織され、一九四七年には「ユダヤ文化再興財団」(JCR)が創設された。アーレントはその活動に深く関わり、危機に瀕したユダヤ人の文物(蔵書、文書、巻物、祭具等)の現況を把握すべく、「事務局長」として一九四九/五〇年にヨーロッパに赴いた(その調査報告が本書に関連資料として収められている)。ユダヤ史の無双の精通者であったショーレムは、アーレントのユダヤ文化遺産保存活動に絶大な支援を与えた。本往復書簡は、両者のこの協同作業のドキュメントともなっている。

一九五一年、ニューヨークでJCRの活動終了祝賀会が開催された折、ショーレムから寄せられた手紙が祝辞として読み上げられた。本書三〇五―六頁に収められたその手紙の中で、ショーレムはアーレントに対する全幅の感謝と尊敬の念を表明している。ユダヤのカバラー(伝統)研究の第一人者と、『全体主義の起原』(一九五一年刊)の著者との友情は、ここに頂点を迎えたといってよい。

二人の心温まる交友を知ったのち、本書の読者は、往復書簡の幕切れ近く、『エルサレムのアイヒマン』をめぐる、一九六三年六月二三日付アーレント宛ショーレム書簡と、それに応ずる七月二〇日付ショーレム宛アーレント書簡に逢着することになる。

ユダヤ人評議会のナチ加担の事実を暴露するレポートの「心ない、いや、しばしば悪意さえ伴った口調」に耐えられず、あなたにはユダヤ人に対する愛というものが感じられない、と叫ぶショーレム。「私がそのような「愛」をまったく持っていないことに関して、あなたはまったく正しい」、政治に「心」を持ち込むことの危険については『革命について』の同情批判を参照、と冷ややかに応答するアーレント。決裂の時は来た。もはや仲介者はいない。再会を望んだショーレムにアーレントは応答せず、交信は途絶した。

ニーチェ『愉しい学問』の二七九番「星の友情」に、こうある。「われわれは、地上ではお互い敵とならざるをえない」と。
この記事の中でご紹介した本
アーレント=ショーレム往復書簡/岩波書店
アーレント=ショーレム往復書簡
著 者:ハンナ・アーレント、ゲルショム・ゲアハルト・ショーレム
翻訳者:細見和之、大形 綾、関口 彩乃、橋本 紘樹
出版社:岩波書店
「アーレント=ショーレム往復書簡」は以下からご購入できます
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