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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2020年4月3日 / 新聞掲載日:2020年4月3日(第3334号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(50)

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1968年に池袋・西武百貨店で開かれた「写真百年展」の前年、日本写真家協会が銀座に借りていた準備室に詰めていた中平さんと多木さんをよく訪ねるようになっていた頃、二人の「写真家の戦争協力者としての自覚欠如」に対する批判は辛らつだった。

百年展の開催中にはNHKで特別番組が放映されたが、それは写真伝来から終戦期までを対象とした内容が座談会形式で構成されて、当然戦時下写真の動向も主要な話題となった。

番組の司会役は岡田隆彦だった。番組制作の準備中それが協会に伝えられると、内容が東松以下、多木、中平らの意向に沿うものになっているのではないかと思った写真家たちの出演辞退が相次いだ。有力な写真家の中では濱谷浩だけが承諾した。濱谷も国策プロパガンダ写真の制作に深く関わっていたが、だからこそ戦争協力に関与し戦後もなお無自覚なまま「写真百年展」に関わる多くの写真家たちを代表して「加担した事実を認めたい」と言った。

多木さんは濱谷さんのその申し出を聞いて、「まともな人がいて救われた気持ちになりました」と私に言った。放映された番組の中でもたしかに濱谷はそう言った。「だから私は終戦の日を新潟の小さな村の仮住まいで迎えました」と。

大学が騒がしくなり「フォトクリティカ」の作業も本格的になり始めていた頃のことだったが、いつもの居酒屋で飲んでいて話題がそのテレビ番組への協力の話になった時、多木さんが「撃ちてし止まむ、の写真を知っていますか」と言ったのだった。知ってはいるが実感はないと言うと、「一度再現して大学に垂らしてみたらどうですか」と悪戯っぽい計画を提案した。写真を勉強している学生たちへの警鐘にしたらいいと思ったようだ。
「合成写真の原板があります。いまは百年展目録の製版用フィルムを作るために小石川の製版屋に行っています。製版フィルムのネガの予備もあるはずです。そこからそっと手に入れるのがいい。私から話をしておきます。でも製版屋に迷惑をかけることになると大変だからこれは絶対秘密にしてくれないと」と多木さんは言った。横で中平さんが「それは大丈夫だよね、絶対入手先を言わないのは守れるよね」と確かめるように繰り返した。

小石川へは中平さんが付き添ってくれた。製版屋では既に用意がされほとんど会話もせずに手渡された。

私はすぐに大学に戻り、経緯は言わずにこれで日劇の再現をしようと仲間に言った。皆は大伸ばしにも慣れている。早速部屋に作れる最大の木枠をつくり、ビニールを何枚も貼り合わせて即席の現像バットを作った。そして深夜、西武池袋線の終電が行くのを待って作業にかかった。暗室のある建物が線路際にあって、大伸ばしのような長時間の露光の最中に電車が来ると引き伸ばしが震えた。だから電車が走らなくなる終電から始発までが作業の時間だった。そのようにして作った「撃ちてし止まむ」を、なるべく緩く巻いて保存し、垂らす機会を待った。

スト突入のその日、建物の上端からくるくると垂れてくる壁画写真を見て、構内にいる学生たちから歓声が上がった。またとない戦意高揚のパフォーマンスとなった。だが、写真で見た日劇の壁画写真の迫力にはとうてい及ばない。ロールの印画紙を使って焼いた貼り合わせの私たちの壁画写真だったが、見る者を圧倒する迫力に欠けている。日劇のがいかに大きかったか、そして大きさが圧倒する仕組みをしみじみと思った。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)(次号へつづく)
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