温泉文学事典 書評|浦西 和彦 (和泉書院)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2017年1月13日 / 新聞掲載日:2017年1月13日(第3172号)

温泉文学事典 書評
文学の豊富な水脈を掘り当てる
楽しみどころ満載の快事典・好事典

温泉文学事典
出版社:和泉書院
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温泉文学事典(浦西 和彦 )和泉書院
温泉文学事典
浦西 和彦
和泉書院
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『枕草子』(春曙抄本)には、「湯は、七久里の湯。有馬の湯。玉造の湯」とある。七久里(七栗)は長野県とも、三重県の榊原温泉ともされる。有馬は、もちろん兵庫県神戸市。玉造は宮城県の鳴子である。

清少納言は、都から遠い温泉に浸かった体験はなくても、憧れていたのだろう。白楽天の『長恨歌』には楊貴妃のことが、「温泉、水滑らかにして、凝脂を洗ふ」と書いてある。そのイメージを、清少納言は日本の温泉に移したかったのかもしれない。

書誌学者の浦西和彦編著書である『温泉文学事典』は、温泉好きの日本人を反映してか、六百頁に近い大冊となった。三段組みだが、文字がゆったり組んであるので読みやすい。観光資源の開発などで役立つだけでなく、読書人に楽しい読み物を提供したいという意図が窺われ、優れものの一冊である。

無尽蔵の夢、そして傷心が埋蔵されている文学という沃野を、どのような戦略で開墾するか。たとえば「酒」などのグルメ関連の切り口もあるが、浦西は「温泉」を突破口にして、文学の豊富な水脈を掘り当てた。

「はしがき」に、この事典は「近代文学」の「エッセイと作品」を編集したとある。それがどの程度の範囲での収集なのかを検証すべく、私は友人の「南條竹則」の名を捜した。彼といつ会っても、温泉に行く直前か、温泉から帰って来た直後だからである。「あった!」。これは、大した事典である。

ただし、必ずしも「文学者」とは言えない書き手の文章までが載っている。ご当地物のミステリーも目立つ。全国各地の温泉のバラエティを富ませるためだろう。

「はしがき」では、古典文学を含めた大事典への発展が願われているが、確かに『枕草子』や、ケンペルやシーボルトの雲仙が省略されているのはもったいない。江戸時代の紀行文があれば、町おこしにも有益だろう。

そこで提案だが、出版元の和泉書院のホームページには、「『温泉文学事典』特設サイト」がある。そこで、古典文学・美術・歌謡曲・漫画を含めた「温泉文化」の情報を募集し、著者・作品・温泉名・内容の概略を投稿してもらえば、すぐに増補版『古典・近代温泉文化大事典』の骨格ができあがるだろう。それほど、世の中には温泉ファンが多い。

この事典は、作者名で立項されているので、同じ温泉があちこちに分散するのは、やむをえない。森鴎外が若くして隠遁を夢見た山田温泉は、肝腎の「森鴎外」の項になく、「石川淳」と「菊池寛」を合わせ読んで、初めて理解できる仕組みになっている。

その不満を補うために、巻末に「温泉別作家作品索引(都道府県順)」が付いているが、これは、冒頭の凡例の次に持ってきた方が、読者には使いやすいのではないか。

この事典の項目を、アット・ランダムにめくっているうちに、温泉に浸かっているような安らぎを感じ始める。その秘密はどうやら、作品の「内容」を、ダイジェストで解説している温和な文体にあるようだ。

浦西たち二十三名の執筆者の手になる作品ダイジェストは、文体が滑らかで、ほのぼのとする。これが、いかにも温泉らしい雰囲気をかもし出している。

ただし、ここでも贅沢を言えば、どの作品のダイジェストも文体が均一なので、温泉別の湯質の違いや、風土の特殊性が、文体からは伝わってこず、もどかしい。著作権の切れた人物に関しては、もっとふんだんに原文を投入、いや注ぎ入れてもよいのではないか。

ともあれ、こんなわがままな注文が言えるのも、この事典を読むのが楽しいからである。読者が参加できる、稀有の事典である。

この事典で紹介されている作品の初出雑誌名を見ていると、改めて『旅』のバックナンバーを読み返したくなる。『温泉』という雑誌が古くからあったことも、初めて知った。楽しみどころ満載の快事典・好事典である。
この記事の中でご紹介した本
温泉文学事典/和泉書院
温泉文学事典
著 者:浦西 和彦
出版社:和泉書院
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