高山右近とその時代 書評|川村 信三(教文館)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2017年1月13日 / 新聞掲載日:2017年1月13日(第3172号)

高山右近とその時代 書評
◇右近の生き様◇ 戦乱の時代のなかに位置づけた労作

高山右近とその時代
出版社:教文館
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「聖人」に次ぐ「福者」に列せられることになった高山右近の列福式が近づいている。昨年ローマ教皇庁の認定を受け、今年二月にその式典が大阪で行われるという。本書はキリシタン大名として名高い、この高山右近の評伝である。ただし、本書は単純に彼の生涯をたどった伝記ではない。本書には、著者の川村信三氏がこれまで主張してきた、キリシタン史研究の論点が随所に見られる。

書名からもわかるように、右近の生涯とともに、彼が生きた時代を彼が関わった地域の歴史として描いているところに、本書の大きな特徴がある。とりわけ、右近が大名として統治した摂津国高槻にだけ注目するのではなく、淀川を挟んで向かい合う摂津と河内の十六世紀中後期における政治と宗教の情勢全体に目配せしている。そうして、キリシタンが入ってくる以前、浄土真宗本願寺派が大きな勢力を保っていたこの地域において、一五六〇年代末以降、キリシタンが根付いていった様子が示されている。

この地域にキリシタンが広がっていったのは、このとき、キリシタンの保護者であった和田惟政のもとに、右近が父友照とともに仕えて高槻に拠点を置くようになった影響が大きい。高山父子は一五七三年に高槻城の主となり、この地域のキリシタンを指導した。興味深いのは、浄土真宗本願寺派とキリシタンとが明快に分離しているのではなく、一五七〇年代中頃には両者が混在していたということである。摂津国島下郡の土豪から身を起こした高山父子も、キリシタン改宗以前は真宗門徒であったとされる。

浄土真宗とキリシタンの相関関係とともに、川村氏がかねてから主張しているキリシタンベルト論も本書では意識されている。キリシタンの寺内に相当するという長崎、その長崎半島の反対側に位置する茂木、島原半島の口之津・有馬・島原、その対岸に位置する肥後国の高瀬、そこから阿蘇山を挟んで東側に位置する豊後国の府内・臼杵に至るまで、九州北部をベルト状に横断するこの地域は、それぞれキリシタン大名の大村氏・有馬氏・大友氏の領地であった。支配領域を越えてキリシタンの連携が可能となる、こうした地域の存在は、全国統一を目指す豊臣秀吉にとって脅威と見なされた、と川村氏は見る。ベルト状に広がる北部九州のキリシタンが瀬戸内を経て、右近を核に広がった畿内のキリシタンと通じ合うというということになれば、キリシタンは秀吉にとって看過できない一大勢力となる。九州を支配下に置くことに成功した秀吉は、その脅威を実感することになったという。川村氏は、一五八七年に発令された伴天連追放令の背景をこのように位置づけた。

周知のように、右近は秀吉の基本方針を受け継ぐ徳川幕府の禁教政策にともなって、一六一四年にマニラに追放され、翌年に同地で没した。結局、右近は大名・武士という政治家・軍人・支配層としての属性より、キリシタン信徒としての属性を優先したといえる。本書はそうした右近の生き様を、戦乱の時代のなかに位置づけた労作である。
この記事の中でご紹介した本
高山右近とその時代/教文館
高山右近とその時代
著 者:川村 信三
出版社:教文館
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