寄稿・談=吉増剛造/寄稿=中上紀・倉数茂・片岡大右・李承俊 追悼 古井由吉|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年4月11日 / 新聞掲載日:2020年4月10日(第3335号)

寄稿・談=吉増剛造/寄稿=中上紀・倉数茂・片岡大右・李承俊
追悼 古井由吉

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古井 由吉氏
(一九八三(昭和五八)年、『槿』刊行の頃)
二月、独自の文体を追求し、文学表現における孤高の歩みを続けた作家の古井由吉氏が亡くなられた。幼年期の空襲・焼け跡体験をへて、日本の高度成長期に文学と出合い、独文学者として文学の道を歩み始めた氏は、『杳子』『槿』『仮往生伝試文』『白髪の唄』など数々の傑作を世に送り出した。古井由吉氏を偲び、詩人の吉増剛造氏にご寄稿・談話をいただき、縁の深い方々に追悼文を寄せていただいた。(編集部)

★ふるい・よしきち=作家。一九三七年、東京生まれ。東京大学独文科卒。同大大学院修士課程修了。金沢大、立教大でドイツ文学を教える傍ら翻訳も手がける。六八年から小説を発表、七〇年から作家専業へ転じる。「内向の世代」を代表する作家。八六~二〇〇五年まで芥川賞選考委員。七一年「杳子」で芥川賞受賞。作品に『栖』(日本文学大賞)『槿』(谷崎潤一郎賞)『仮往生伝試文』(読売文学賞)『白髪の唄』(毎日芸術賞)など。二〇二〇年二月一八日、肝細胞がんのため死去。八二歳。
第1回
〝翳の積み重なり〟✕ 古井由吉の「この手」=吉増剛造

吉増 剛造氏
【〝翳の積み重なり〟】

訃報に接しましてから、残された「作品」たちの言葉のみちを辿りはじめて、ほゞ二週間くらいになります。とうてい全作品に及ぶことは不可能ですが、古井由吉氏亡きあとの時間での読みの深みのようなものは、やはり……やはりというと語弊があるのですが、〝やはり深渕をのぞかせている〟、ここから深渕が見えている。おそらく〝前人未到の言語の宇宙のひろがり〟でした……。

ブックデザイナーの菊地信義氏を介して、古井由吉氏を知るようになりましてから、これはちょうど『山躁賦さんそうふ』(集英社刊)の頃ですから、一九八一年頃、古井氏はまだ四十四才……、つまり四十年近くにもなるのですが、こうして古井さんの死に接しまして読む「古井作品」は、一段と色濃い、いまだかつてない未聞の襲ね、生と死の類例のない色濃さ、そんな襲ねなのです。

さらに、それがいつどこで顔をもたげて来るのか、古井さんの文学では、全く予測がつかないのです……。たとえば、それはこんなふうなのです。

〔……〕現在地が怪しいようでは、未来に定点は望めない。そこで過去を振り返る。過去とてただちに定点とはなり得ないが、かげりの積み重なりはある。
その過去の翳の中からほのかに現われたのが、この作品の場合、朝顔の花だった。しかもその花を少年は便所の中から想っている。夏場の腹くだしは赤痢や疫痢、危機と感じられる時代のことだ。地面の湿りに接して人は暮らしていた。湿りの内に死は潜んでいた。そこに朝顔の花がひらく。(『槿あさがお』所収「著者から読者へ朝顔に導かれて」より、講談社文芸文庫*ルビ編集部)


この〝翳の積み重なり〟が、古井さんのキーワードの一つです。こんなふうにして、思考とともに起きてくる記憶の積み重なりのかげり、そこに古井さんの文体があるのです。

さて、たどたどしい、乏しいちからによる辿り方ですが、古井さんの亡くなられたという空気の中でのわたくしなりの理解といいますか、理路の小径を三つ、四つ程、申し上げてみたいと思います。

それを申し上げる前に、今日まで約十日間、古井さんの作品を集中して読んでいましたときに生じて来ました心身の変化というのか、変調について語らせて下さい。これほど、骨身にこたえながら、読むことというのは、まったく稀有なことでした。気がつくと腰をいためていることに気がつきましたし、眼も、かすんで来て奇妙な揺れを起していました……。これは文章を読むことによってそういうことが起きてくる、作品の本質からそういう骨の割れみたいなものが出てくるのですけれども、さらに四十年近く前に初めて接して驚きましたことのひとつ、古井さんの「この手」……さらに、身体、内臓器官の揺れや騒ぎのようなものにもつながりますが、それが、手の動き、すなわち、先づは、文字のことですが……古井さん自身の「この手」をみたときの驚きが、ずっと私の中に続いていました。それはたとえば亡くなられて八年くらいになりますけれども、吉本隆明氏の「根源乃手」とも類似しています。おそらく、「この手」というのはご自身が言われる言葉を引きますと、

〔……〕それでは文章が、どう推敲を重ねたところで、定まらないではないか。しかしまたそんな癖の故に、この道へつい迷い込んで、やがて引き返せなくなったとも思われる。吃音の口にも似て詰屈したこの手がたどたどしく、切れ切れに繰り出す、その言葉のほうが書いている本人よりも過去を知っていて、生涯を見通しているような、そんな感触に引かれ引かれ、ここまでやって来て、まだ埒があかないというところか。(『半自叙伝』所収「もう半分だけ」より、河出文庫)


この〝引かれ引かれ〟と繰り返されているところ、これが本当の古井さんの言葉だなあ……。古井さんの字というのは蟹が横ばいするような、不思議な字なのです……。

おそらく古井さんが大学のときの卒業論文で書いたカフカの手やスケッチを描く手もおそらくそうだったのでしょう……。この根源的な〝この手性〟(そういう概念を創り上げたのですが)なのだろうと思われます。ですから古井由吉という作家には、〝この手性〟がわだかまっているというのか……終始一貫というべきか、間断なくというべきか〝この手性〟に、憑かれているというべきでしょうか? わたくしもまたこうして書いてみて、とても〝この手性〟に引かれていることにあらためて気がついていました。


【古井由吉の「この手」】


さて、いくつかの作品の内部の辿り方をしてみます。先ず最初に手にして心読しましたのが、震災後の二〇一七年と二〇一八年の作品を収めた『この道』(講談社刊)でした……。古井由吉氏の恐ろしい程、透徹した〝翳の積み重なり〟のヴィジョンでした……。

見てはならぬものを見た、と三陸の大津波の折りにそんな感想を新聞に寄せた人があり、〔……〕この言葉が私の心身に染みた。これも傍観の立場には違いないが、傍観のそらおそろしさが伝わった。感想というよりも、悔いの念に近いと感じられた。現地のその時から送られてきたどの映像を見てのことかは知らないが、その言葉に触れて私の目にまた浮かんだのは、海辺からかなり隔たったと見える広い畑地を、黒い斑点まだらに覆われた巨大な蛇のようなものがゆっくりと、じつはかなりの速さなのだろうが、見た目にはゆっくりと這って進む、空中からの映像だった。内では水がたぎり、轟々と沸き返っているはずなのに、上空からの撮影なので、音が伝わって来ない。音を絶たれていることが、かえっておそろしく感じられた。
見てはならないものを見た、と私も子供の頃に、生まれた家が敵の焼夷弾をまともに受けて〔……〕(『この道』所収「行方知れず」より、講談社)


ここで津波を捉えるときに〝大きな蛇が〟といわれている。わたくしもいま松島や石巻に何度も何度も通ううちに、被災者の方の手記を相当読み込んでいるうちに、ふっと気がついて、「逃げろ、逃げろ」という声の中に「日和山ひよりやまへ逃げろ」という、そういう声が随分聞こえてきていました。よし、僕も石巻の日和山へ登ってみようと思いまして、登ってみたら、海の見え方が違った……。そして僕の目にも、今になったらそういう形容をしていいんだろうと思うけれど、遠くで黒い蛇が遥かな声を発して押し寄せてくるような、異様なものを見たような気がいたしました……。そういうことにも重なっているのだと思いますが、つい二十日くらい前に、仙台から石巻へ行く電車の中で知り合いました大沢正善さんといわれる研究者の方が僕に、「あなたの宮沢賢治のテレビ番組(NHKこころの時代「宮沢賢治 遥かな愛 春と修羅より」二〇一七年四月放映)を観ました。私も賢治研究をしていまして」と話しかけられて、しばらく話をしていましたら、宮沢賢治が中学四年生のときにはじめて海を見たことを書いている詩〔われらひとしく丘に立ち〕を送ってきてくださった。それを見て僕も驚いた……。賢治は別に蛇とは言っていないけれども、異様なものが押し寄せてくるような感じがしたと書いている。その偶然に驚いたこととも被っていますが、こうした被災された方々の見てはいけないものを見たという、そういう心の状態に沿って、古井さんの中からもう一度、〝翳の積み重なり〟の記憶というか、思考というか、世界というか、それが湧き上がってくるということがある。古井作品の中でほかにも蛇が出てくるところがあります。

〔……〕三十年見馴れたはずの物の影もさっぱり思い出せなくなっていた。夏も末のある日、初めて林で見かけてから十年にはなりそうな、一米には優に余る蛇が炎天下の道を横切って、いかにも気息奄々の様子で草むらに這入っていくのを、ああ、無事だったかと、人の通らぬ間に繁みへ紛れこむまで、後押しする気持で見守った。林からこんなに離れたところまで迷い出て来るのは、からだが大きくなり過ぎたところへ、餌場が荒らされ狭められたせいなのだろう。(『聖耳』所収「年末」より、講談社文芸文庫)


ですから古井さんの作品を読むということはこうした経験をさらに重ねて、瘡蓋かさぶたが剥がれるというよりも、さらに重ねられるような、そういうふうにして情景ともいえない、想像力ともいえない、世界の皮膜、あいだみたいなものが、こんなふうにして出現してくるのです。そうしたことを震災以降の作品で、古井さんはご自分の幼少の頃の戦災の記憶を重ね合わせて、かなりすごい作品を連発されています。それも、〝この手性〟、この手が書いていく、ゆっくりと這うようにして。そう、蛇というのも、その這うようなものなんだなあ……。
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