近代日本の医療と患者: 学用患者の誕生 書評|新村 拓(法政大学出版局)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年6月24日 / 新聞掲載日:2016年6月24日(第3145号)

近代日本の医療と患者: 学用患者の誕生 書評
人体はいかに利用されてきたか 医学史にとって極めて重要な書物

近代日本の医療と患者: 学用患者の誕生
出版社:法政大学出版局
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近現代医学の発展と拡大の背景には、大規模な人体の利用があった。この利用は、解剖や病理などの死体に対して行われる研究と、発病機構の解明や治療などの生体に対して行われる研究の双方を含んでいた。さらに、医学の問題だけでなく、19世紀以降の福祉国家の発展や20世紀の優生学など、より大きな現象と深く結びついていた。それらの運動が取り組もうとした「あるべき」社会や人口の問題の中に、それぞれの患者の臨床が組み込まれて、個人の身体が人口の「利益」のために利用されるという状況が定着・拡大して、医療の中に深く浸透するようになった。この問題を日本の近代を中心として解明したのが本書である。

日本の医学が安土桃山時代から江戸時代にわたってめざましい発展をとげる過程で、西洋医学の接触とは別の要因を多く含みながら、患者の身体を医学教育に利用することが始まっていた。刑死体を用いた解剖は18世紀半ばに行われ、解剖は早い段階で日本医学に定着した。貧困者の医学的な利用についても、18世紀末に私塾を改組して設立された幕府の医学教育機関である江戸医学館では、施療を受けた貧困者の治療は富貴の患者の診療のための稽古台であるという考えが定着していた。解剖学のための死体の調達や貧困者の医療を医学教育の道具として取り込むことは、すでに江戸時代後期の日本の医学教育で現れていた。そのため、明治期になって、刑死体や施療施設での病死体などを医学教育機関に集積する仕組みは速やかに作られた。のちの東京大学医学部となる医学校においては、明治3年から13年までの間に、1000体の死体が解剖されるという早いペースで定着し、東京の私立の医学校においても類似の仕組みが作られた。東京の開業医たちは死亡した患者を医学校に持ち込んで解剖に供し、日本各地の医学校や病院や開業医の団体も、明治中期までにはこの流れに乗って類似の仕方で死体を入手する仕組みを作り上げた。国民の健康な身体を作り出す政府の政策と、西洋型の医学教育を急速に整備する医学教授や開業医たちの思惑は、施療という恩恵と引き換えに貧困者の身体を医学教育に役立てる西欧型のシステムを急速に日本に導入した。

このような状況を娼妓病院や行旅人の医療などの問題と組み合わせると同時に、随所で現在のインフォームド・コンセントの問題にも言及したこの著作は、医学史にとって極めて重要な書物である。しかし、この優れた著作が論じていないのは、学用患者が生きている間にその身体を医学研究のために利用する問題である。解剖学や病理学などの、患者の死後にその身体を用いて行われる医学の教育や研究は、明治期の日本においては比較的新奇なものであったが、学用患者に行われたことは、それだけではなかったはずである。本書で引用されている多くの文献が言及するように、学用患者が施療と引き換えに差し出したものは、死後の死体を利用されることだけでなく、生存している間に医学の教育と研究に貢献することであった。学用患者を含む生きた人間に、医学研究の目的で何が行われたのかという問題について、本書はほとんど触れていない。この問題は、それ自体として重要であるだけでなく、とりわけ日本医学史の研究においては、生存する人体への医学的な人体実験として世界の中でも極めて大規模な731部隊が、日本国内の医学研究のあり方とどのように結びついていたのかを論じるための重要な要素である。20世紀の医学的な人体実験として悪名高いナチスの人体実験や、アメリカのタスカギーの梅毒の接種なども、その悪質さや規模においては特異的であったが、基本的な方法については通常の医学研究と連続していたことが近年の研究では示されている。日本においても、生きた学用患者を主題にした優れた研究が世に問われることは近いだろうし、その時にこの良書は重要な出発点になるだろう。
この記事の中でご紹介した本
近代日本の医療と患者: 学用患者の誕生/法政大学出版局
近代日本の医療と患者: 学用患者の誕生
著 者:新村 拓
出版社:法政大学出版局
以下のオンライン書店でご購入できます
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