武者小路実篤とその世界 書評|直木 孝次郎(塙書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年6月24日 / 新聞掲載日:2016年6月24日(第3145号)

武者小路実篤とその世界 書評
新しき村衛星群の寸景描出
回想に終らぬ歴史学者としての論容がある

武者小路実篤とその世界
出版社:塙書房
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著者は著名な歴史学者、その武者小路実篤論、私は奇妙な感覚の中、読み始めた。事は、御父上が「新しき村」の村外会員として終始、武者小路実篤の業を援けた、その縁により、著者も何らかの形でかかわりがあった、その事の記述が本書の中心をなしている。それ故、断想的で、やや協愛的、私は不消化のままに読み進めたというのが、当初の実感である。

本書は、Ⅰ 武者小路実篤とその時代、Ⅱ 武者小路実篤研究の問題点、Ⅲ 武者小路実篤の思い出、Ⅳ 武者小路実篤をめぐる人々、余論 日本史研究と文学者―森鴎外を中心に―、の五部構成である。少し追う。

Ⅰ「その時代」は三部仕立て。一は、戦争反対の戯曲「その妹」や「ある青年の夢」で出発した武者小路が、のち、戦争賛美の「大東亜戦争私感」を書く、その落差の問題について。本多秋五がその変化を「謎」とするのに対して、早く戯曲「楠正成」があり、下地があったと記す。しかし、なぜ「楠正成」か、なぜ大東亜戦争讃美かが問題ではないかと私は内問する。二、三は、乃木希典と『白樺』とのかかわりについて、乃木に必ずしも『白樺』否定はなかったと記す。が、それがどこにつながるのか。

Ⅱ「問題点」は二点。人間の滅びを論じた「人間万歳」について武者小路は「寓意や理屈」はないと言う、が、そこに国家権力等への何等かの反意があったこと、二つに、片岡鉄兵と周作人の論争に触れつつ、当代、必ずしも戦争讃美だけでなかったことを記す。

Ⅲ「思い出」は六件。戯曲「愛欲」の主人公を演じた名優友田恭助のこと。埼玉の新しき村で雪舟の複製「山水長巻」を共に見たこと。学生時代、三鷹の牟礼にいた武者小路宅訪問。竹久夢二宛の武者小路書簡。奈良時代の武者小路と志賀直哉、新しき村奈良支部、法隆寺に随行、百済観音を共に見たこと。他者を尊重し「よかったら」を多用した武者小路などなど、各種の「思い出」を記す。

Ⅳ「めぐる人々」は六つの話。日向の新しき村の杉山正雄訪問記、村の果樹園を担当した上田慶之助、早い時代の入村者松本長十郎のこと。岸田劉生の画を蒐集した父。志賀直哉の直哉は「論語」によるとの仮説。欧米旅行直前に記した武者小路の遺言状にある父直木憲一への借金のことなど、多岐にわたる。

まさに「武者小路実篤とその世界」、武者小路と新しき村衛星群の寸景描出群である。
余論は、森鴎外「かのやうに」論考、「空車」考究の二論よりなる。前者は、大逆事件等の時代に記した「かのやうに」の哲学による鴎外の立ち位置。後者は退職後記した「空車」について。「空車」を鴎外の「我身の似姿」とする通説、武者小路とする松本清張の説等に対し、大男を山県有朋に、空車を国家体制に擬し、鴎外の生の「あいまいさ」に論及、そういった「不自由な時代」がこないよう努力すべきと提言する。

はじめ、この余論がなぜ挿入されたのか迷った。再読、私は前半に感じた不消化の感が少し癒やされる思いがした。武者小路とその衛星群、終始共にした父とは何であったか。論中、松本清張の武者小路説を著者は強く否定している。父への鎮魂を含めながら、しかしやはりそこに「空車」の一種を見たのではないか。武者小路の世界を述べた本論に鴎外を論ずる余論を添えた、そこに何らかの喩はないか。この位相を読み切ったという実感は私にない、が、ただに回想に終らぬ歴史学者としての著者の論容があるように思える。そこに思いを致した時、私は本書に出あった幸せをただに感じた。
この記事の中でご紹介した本
武者小路実篤とその世界/塙書房
武者小路実篤とその世界
著 者:直木 孝次郎
出版社:塙書房
「武者小路実篤とその世界」は以下からご購入できます
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