中平卓馬をめぐる 50年目の日記(55)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2020年5月15日 / 新聞掲載日:2020年5月15日(第3339号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(55)

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「プロヴォーク」がスタートすると、中平さんの拠点もまたプロヴォーク社、つまり多木事務所(多木映像デザイン研究室)になった。用があってもなくても中平さんはそこに来て、仕事の打ち合わせもそこで行うようになり、さながら共同事務所のようにもなっていった。

とにかく交通の便がいい場所だった。青山通りから表参道に入る角に富士銀行があり、そこを曲がってさらに銀行の裏手の路地を入ったところに日本グラモフォンというレコード会社のポリドールレーベル・スタジオがあった。ポリドールのレコードはここで録音されていた。多木事務所のある二階建ての小綺麗なアパートはそのスタジオの真裏にあった。

事務所はもともと居住用のつくりだから、一部屋がデスクワーク、もう一部屋がミーティング室となっていて、キッチンのスペースは事実上作業場、浴室は完全に暗室に転用していた。その暗室の壁とほとんど隙間なく接していたのがポリドールのスタジオの壁だ。一枚の壁を挟むようにして、こっち側にはラッキー製の4×5型とフジのB型引き伸ばし機、塩ビ製の大きなシンクが並ぶ、向こう側は録音前のリハーサル室になっていたらしい。ほぼ一日中いろんな歌手の何度も何度も反復する歌唱がはっきりと暗室の中に聞こえた。そのほとんどがグループサウンズ、タイガースの歌だった。

事務所のアパートの一階にはミュージシャンのミッキー・カーチスが住んでいた。

いたって静かな生活ぶりで、たまにアパート前のピロティーのようなところで日光浴をしていて、顔を合わせてもごく普通にあいさつを交わしていた。
表参道から多木事務所に入る通りの角にはサクランボと言うカフェがあって、中平さんと私は日に何度もそこでコーヒーを飲みながら時間をつぶした。

事務所にバッグを置くとすぐカフェに入ってそこでその日の計画を練った。

中平さんは事務所の暗室を占拠するように使い始めた。昼少し前に来てフィルムの現像を済ませると、そのフィルムが乾くまでの何とも手持ち無沙汰な時間をすべてサクランボで過した。

温風で乾かすフィルム乾燥機がちゃんとあったが、彼は自然乾燥がいいと言って、水洗を終え濡れたフィルムを明かりにかざし出来映えをおおよそ確認する、そしてホコリがつかないように外を遮断された暗室の中に吊るした(その間は誰も暗室を使えない)。彼は作業手順を想定する時間が楽しくて、すぐに乾いてほしくなかったのだ。

中平さんはその間、常に持ち歩いている赤い表紙のジベールのノートにコマ割りのような四角を書いて、そこに乾燥中のフィルムから想定される「いける」写真の画面をスケッチした。それをいくつか描いていると、次に撮影したいイメージが湧くのだと言った。

ひとしきりそこで時間をつぶして事務所の暗室に戻ると、乾いたフィルムをネガカバーに収容して整理し、べた焼きを作った。べた焼きは回転するドラムの印画紙乾燥機を使ってすぐに乾かしそれが終わるとまた「サクランボへ行こう」と私を誘った。

今度は、元々はグリースペンシルといって手術の際の皮膚にマークをつけるためのものだった通称ダーマトグラフを使って、べた焼きに「いけるかな?」と言うコマを見つける作業に熱中した。見つかるとそのコマの周囲を赤色の線で囲った。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)
(次号へつづく)

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